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もうクリスマスなんだから、それにちなんだssを書くのが至極当然なのかもしれない。
というか昔の自分ならいの一番にそれを思っていて、更にはフライングまでしていた気がする。
いつからでしょうか、季節に対しての概念をssとして流用しなくなったのは。
そもそもの伊織のssの発端は誕生日ssなのですがね。暇が無い、確かにそれはあります。
ただ単純にクリスマスとか、お正月とか、誕生日とかだから書きたい。ではなく今この瞬間に書きたいという気持ちの表れかもしれませんね。
今回のクリスマスにssかと思ったのも、緑虫さんがスケジュールにそれを書くと予定していたのが気づけた要因ですね。すごく当たり前のような行事を当たり前のように忘れていました。
でも今はなんだかワクワクしています。このタイミングで伊織とプロデューサーは一時的なお別れでしたが、今気づきました。この二人あの場でそう決めただけで、完全に別れていないんですよね。
なら刹那の去り際、その一瞬を二人には目一杯全力で、それこそ命を懸けて望んでもらいましょう。
これが最初の最後、ああすごくワクワクしてきました。

やはり書き者として身を置く人はイベントがやってくるたびにそれに目を光らせているのかと存じます。それは絶好のネタであり、少しの間だけ最高の鮮度と味を持っているのですから当然でしょう。
時期を過ぎれば急激に新鮮味はなくなり、それまで美味しいと感じていた味も場違いなものへと変わってしまいます。それをどれだけきっちりきっかり料理できるのか。楽しみです。
勿論料理人としての自分にも、他の料理人がいかなる料理を出されるのかも気になります。いやはや、意外にも自分の周りにはころころ幸せが転がっているんですね。

さて、書いてみm@sterには早漏れ気味で参加しましたがそれでもここに訪問してくださった方は読んでくれたのでしょうか。そうしていただけてたら嬉しいですね。
そんなわけで珍しいですが自分の作品を振り返って見ます。以下追記。
それじゃココまでの人、気楽におやすみなさい。

どうもこんばんは。挨拶をしていないなと思いましてね、ふと言ってみました。
さて、今回の書いてみm@sterはテストということで、まだ自分しか参加していませんがこれから何人かは投稿するのだろうなと勝手に予測しております。それはいいんですけど。
まず絵を見ての第一感想は、書かない。はい、書けなく書かないというものでした。
普通、あずささんが誰かを抱き締めるという構図ならばよく見かけます。ですが今回はあずささんが誰かに抱き締められているというもので、それは自分の中でほとほと難しく到底たどり着けそうに無いなと苦笑してしまいました。
更に抱いている貴音も、微笑んで抱き締めているのではなく苦しそうに、痛々しい表情をしています。
「これを書くのは難しいぞー」と他人事で他の人の苦悩を思い浮かべたのが最初です。
それから数日もまったく書かず、絵のことさえ忘れていました。
でもふと、書いてみようかなと思いまして。なんでそう思ったのかは謎ですね。自分の行動理念なんて曖昧なもんですから仕方の無いことですが。ともかく一行だけ書いてみたんです。
今でこそ最初の一行は「そうしていた私は、そうされることに慣れていなかった」ですが最初は全然違う、だけど意味は同じようなものを書いていたと思います。書いた後に違うと思って消して結局前述したものになりました。
自分はよく突発的なフレーズ、今回もそうですが大抵の場合は最初の一行を書くことから始まります。
そこから頭の中で仮の骨組みをたててその場で工事をしながらいい素材が出たらそれを使う。
という風に建築業ならば一発で耐震偽装レベルを超える建物が作れそうなくらい、不安定であやふやな所から始まります。

正直に言いますと、今回はほとんど先が見えませんでした。いつもはある程度先が見えつつそこに自然に繋がるように文章を組み立てていくのですが今回はそれが本当に少量で難しかったです。
それは匿名希望さんが書いた絵を自分でどう捉えればいいかわからなかったからです。まずあずささんが誰かにしがみついて泣いている、しがみつかれている貴音は苦しい表情をしている、なのに背景は明るいと。
絵で起こっているのは単純で表現しやすい動作であり、またこの二人も自分の知識の中でどのような人物なのか知っています。ですから本来なら悩むこともないのかと思います。
でも知っていたからこそ、どうしていいのかが自分にはわからなかった。何故このような状況になっているのか、想像も出来ませんでした。その一筋の光を作ったのが最初の一行です。
ともかくとして、あずささんは抱き締めることは多いけど、その逆は少ないっていう単純な感想を書いたのです。そこから、あずささん自信はその行為、役割についてどう考えているのかを見ることがようやくできました。そこからは止まりながらもどうにかのらりくらりと文章を重ねて完成に至る、というわけです。
この作品を書くにあたって気をつけたこと、それは自分で考えたものを曖昧にせず、ちゃんと自分で説明しようと思い書いたことです。
普段の自分の書くものは自分がそうだと伝えたいことでもあえてそう書かずに、ニュアンスだけ載せて終わりというものが多いです。それはその書き方が好きで、また楽であり、読者にとっても楽しくなるのかと思ったからです。ですが任せすぎるのは違うだろうと「空の境界」を見て思ったんです。
だから今回は丁寧に順を追って、ある結果に対してなぜそうなったのかの説明をちゃんと書きました。
書ききれなかった部分は自分の未熟な部分であります。あえてそうしたのではなく、そうすることができなかったのです。これは普段からニュアンスだけで終わらせる自分が巻いた災いですね。
ですが書き終わる直前はスッキリしていました。これまで以上に無いくらいに、自分なりの説明がそこにあってちゃんと伝わればいいなって思っていました。

ですが今回一番悩んだのが、最後です。物語の最後なのですから誰しもが悩むのは当然ですが、今回自分の中で一番悩んだのかもしれません。最後の2~3行を書くのに一時間は掛かりました。
今でもあの最後でよかったのかと悩みます。もっとストレートに1行でまとめられなかったのか、と。
他にも悩んでることはあります。本来作中で「隣に…」を使うつもりはありませんでした。文章が組み立てているうちにたまたまこの作品と「隣に…」がリンクしあって、それをたまたま自分で発見できたので組み込んでみたということです。歌詞を全部書いたのはアイマスを知らない人でもということからです。
でもふと、「隣にの歌詞を入れたのはちょっと蛇足かもしれない」と思うようになりました。ある人には嫉妬すらしてくれたのですし、勿論この発想は自分でも良かったと思います。
ですがその反面、物語とそれまでなんらかかわりの無かった隣に…という曲が入ってきたことで物語の進行を妨げているのではないかと考えるようになりました。
そしてこの隣に…がメインになりすぎているような気もしました。タイトルにも隣に…を使っておりますし、いつの間にか自分でも知らない間に主人公を差し替えられた気分です。
良きもあり悪くもあり、相反する発想でした。他にも細々とした部分や文章として書けなかった二人の思いなんかも残念です。
ですがあれ以上つけたしつけたししていたら、どこかが崩れてしまうと思ったので結局はこういう形で載せることとなりました。勿論駄作として載せたわけではなく自分でも好きな作品です。
ですが、好きなものだからこそもっと深みを演出できなかったのか、表現が足りない部分を補えなかったのかと思案してしまうのです。

ともかくとして出来上がった自分の作品の全体像はあずささんの二面性の裏を主体とした人間性の一部解明でしょうか。なんだそれ。ともかくあの絵から連想したものは、重く辛い苦々しい空気だったので必然的にこの作品もそうなっていると思います。ちょっと頭に残る鈍痛のような感じですね。
はい、以上です。
読んでくれた方、ありがとうございます。
2010.12.10 Fri l キケン ガ アブナイ ! l COM(0) l top ▲

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