注意
この物語は合作の途中からとなっております。一番初め、及び二番目はこちら。
0102
順に緑虫、月の輪Pの作品となっております。そしてラストがこちらの03になりますので順番で読みたい方は01からどうぞ。



私の前から春香ちゃんが消えた。一緒に住んでいたアパートから存在そのものの痕跡をなかったかのようにするように、何もかもを残さず消えてしまった。
 ランクBになったその日に、春香ちゃんの行方がわからなくなった。携帯に電話しても当然の如く出ることはなく、もう一週間が過ぎようとしている。
 どうして、どうしてなんだろう。
 自問自答を繰り返しても出るのは問ばかりで答えは出なかった。私が、いけないのだろうか?

「…ほさん、雪歩さん」

 誰かが私の名前を呼んでいる。春香ちゃん、かな?トリップしていた意識を自分に返して声のするほうに顔を向けるとそこにいたのは秋月涼子ちゃんだった。そういえば、今はレッスン中だった。一緒に、ダンスレッスンをしていたんだっけ。

「大丈夫ですか? 休憩しますか?」

 涼子ちゃんは心配そうに尋ねてくる。
 私は、疲れているわけじゃない。心も体も、まだまだ元気でいくらでも踊れる、歌える。けれど脱力感と虚無感が私の中で充満している。きっとついてきていないのは私の気持ち。突っ走るだけの燃料。それが今の私にはない。何故なら

 天海春香がいないから

 私が動けない答えはこんなに明白なのに、どうして、どうして私は

 天海春香を見つけられないのだろうか

「雪歩さん、やっぱり春香さんのことが気になります、よね」

「…ごめんね、涼子ちゃん、ううん、涼くん」

「いや別に、ってあの、涼くんって…? あ、あれれ?」

 必死にとぼけようとするんだろうな。不器用に、それでいて優しく自分は女の子だって、本当はそう言われるのは嫌なはずなのに私のためにそう嘘をついてくれるんだろうな。
「もう、平気だから。他の男の人はわからないけど、涼くんなら大丈夫だから」

「なななんで本当の名前を・・・じゃない! あ、あのっ今まで嘘ついててごめんなさい!」

「そんなことないよ。私は涼くんと一緒にレッスンしたり遊んだり出来てよかった。涼くんもそう思わない?」

「は、はい! 私も雪歩さんとレッスンしたり喋れたりして楽しかったです!」

「うん、ならその気持ちは嘘じゃない。ね?」

「あっ…」

「ふふっ、でもこれからは一緒にお風呂入ったりしないからね」

「ぎゃ、ぎゃおおおん! あ、あの時は本当にすいませんでした!」

「ううん、大丈夫。あの時から薄々気付いてたから。転ぶ度に胸を気にしたり、水着撮影を一緒にすると必ず水着を着てきたり、愛ちゃんに涼さんって呼ばれたり、たまに僕っていったり」

「うっ、ば、ばればれですね」

「でも私は本当に涼くんに感謝してるの。だから気にしないでね」

 今の萩原雪歩があるのは偏に私のプロデューサーと春香ちゃんのおかげだと事務所で言われているけれどそれだけじゃない。こうして涼くんのように私を支えてくれる人がいてくれたからこそ、私は私を取り戻しつつあって、なりたかった自分に近づいているんだ。
 なのに、一体春香ちゃんはどこへ行ってしまったんだろう。このままじゃ私はまた、臆病なままの私に戻ってしまいそうだ。

「あ、ありがとございます。…一つだけ言ってもいいですか? 慰めとかじゃなくて、友達として、涼子ちゃんじゃなくて、涼くんとして」

「うん?」

「ゆ、雪歩は! その、春香さんを探しに行かないの?」

 沈黙。静まり返ったダンススタジオほど不気味なものはない。ずっと、ずっと続く静寂。
 
「ゆ、雪歩?」

 その沈黙の答えはこうだ。

 どこにいるのかわからない

 あれだけ一緒に居たのに、仕事のときもレッスンのときもご飯のときもあまつさえ寝るときだって一緒だった春香ちゃん。その春香ちゃんがどこに行くのか、それがわからない。だから私は春香ちゃんがいなくなってから初めて知ったんだ。今まで自分の事だけに必死で春香ちゃんのことを何も、何一つ考えていなかったんだって。それでいて、まだ私は春香ちゃんを求めている。自分からは何も提供しないで見返りを求めて、まるで子供だ。

「…そうだね。きっと探しに行かないと行けないんだよね。でも、でもね。わからないんだ、春香ちゃんがどこにいるか、わから、ない、の」

 涙が溢れ出して、もう言葉も紡げなくて、嗚咽しか零せなかった。私はへたり込んでしまう。いつもなら叱ってくれる声が聞こえる、厳しくてけど優しい声色で負けるな! 頑張れ! って言ってくれるのに。
 途端、私の体がそっと温かくなった。俯むいて涙に濡れている瞳で見なくてもわかる。涼くんが私を抱きしめている。心に悪寒が走る。でもそれは一瞬でなくなった。あの時とは違う、確かに触れられているけれどあれとは違う。優しくて私を心配しているのが全身で伝わってくる。

「…違うよ、雪歩は知っているはずだよ、春香さんが行きそうなところを。でも怖いんだよね、会って拒絶されるのが。だからここでまだ足踏みしてるんだよね。でもそれじゃだめだって思うんだ。ここは優しい気持ちのいい陽だまりで雪歩はここにいられる、けど春香さんは今もどこかで独りで苦しんでると思うんだ。だから今度は雪歩が迎えに行かなきゃ、春香さんがそうしてくれたように」

「春香ちゃんがそうしてくれたように…」

 あの時手を差し伸べてくれた、春香ちゃんはそうして私を救ってくれた。今度は私が春香ちゃんに手を差し伸べる番、でもやっぱり。

「拒絶されるのが、怖いよ」

 手を振り払われたら今まで信じていたものが揺らぎそうで、ここでずっと手をこまねいているんだろう。踏み込めるだけの勇気を私は持っていない。…本当に?

 ちゃんと、しようよ自分!

 VS―TVに出たときに私は私をそう叱咤した。あの時は大切なプロデューサーとの仲を悪く言われて勢いで発言していた。大切なプロデューサーを悪く言われたから、なら大切な春香ちゃんのためにちゃんとしようよ、自分。

「うん、そうだ、そうだよね。ちゃんとしなきゃね」

「はい。それじゃ」

「うん! 行ってくるね、涼くん」

 そうして私はレッスン場から飛び出した。大切な私のもう一人のプロデューサーを迎えに。



「ふう、友達として少しは後押し出来たかな?」

「まあ合格点ってところね」

「り、律子姉ちゃん!?」

 腕を組みながらどこに隠れていたのかわからないが、レッスン場の入り口から律子姉ちゃんが姿を現した。多分雪歩さんが心配でここに来たんだろう。だからあんなにほっとしたような表情なんだと思う。

「それにしても雪歩、ねえ。何かやましい気持ちでもあるんじゃないのー?」

「そそ、そんなのないよ! さっき言った台詞は真さんが言いそうなのを想像しながら言っただけで」

「ふーん」

「…でも、僕じゃだめだった。雪歩さんを僕自身の手で立ち直らせてあげることが出来なかったよ、あはは」

 やましい気持ちとかは多分ない。けど、僕は秋月涼として、雪歩さんの友達として彼女を立ち直らせたかった。心のどこかで密かにそれくらい親密になっているんじゃないかって、思ってたんだ。
 それは僕の思い違い、僕の勘違い。

「わ、笑っちゃうな~あはははは」

「…笑わなくてもいいわよ、よくやったわ」

 そう言って律子姉ちゃんは僕を抱きしめた。ああ、もうだめだ。雪歩さんの前では堪えられていた涙はもう止まりそうにない。それくらい律子姉ちゃんが優しく、強く抱きしめてくれたから。

「うっ、うう、あああああああああああ」

「よしよし、大丈夫よ。雪歩はね、涼が独りで苦しんでどうしたいいかわからないときにきっと駆けつけてくれるから、ね」

「う、ああああ、う、うっん」

 次に雪歩さんと春香さんと会うときまでには笑顔でいられるようにここで出来るだけ泣いちゃおう。それがライバルとして、友達として僕が選ぶ道だと思うから。

 探し始めてからどれくらい経ったろうか。レッスンを抜け出して数時間は経っているだろうとは思うけど、レッスンより大事なことがあるんだ。それは何よりも今解決しなきゃいけない。
 残念ながらドラマのようにはいかないので私は片っ端から、春香ちゃんと一回しか行っていないような所から馴染み深い思い出の場所までありったけ探していた。でも私が男性恐怖症だったこともあるからそんなに探す場所は多くはない。
 事務所、レッスン場、一緒に過ごした家。心当たりがあるところを探してみたけれどやっぱり春香ちゃんは見つからない。そうして探し回れば回るほど、見つからないことへの不安、行くべき場所の減少が私を苦しめる。もしこのまま春香ちゃんの姿を見かけることがなければ私も私でいられる自信がない。せめて一目だけでも…。

(弱気になっちゃ、ダメ)

 ちゃんと、しなきゃ。今すっごく苦しんでる春香ちゃんを助けてあげられるのは私しかいない。この手を、差し伸べてあげなきゃいけないんだ。走りながら、ぎゅっと手を握る。春香ちゃんを見つけたら絶対に離さないように、きつく。
 たどり着いたのはなんてことはないただの公園。一度だけ、まだ最初の頃に公園で練習しようとした頃があった。結局男性の目が気になって一日で挫折した希薄な思い出の場所。そのベンチに。

「は、春香ちゃん!」

 行方不明で今765プロを騒がしている渦中の人物、天海春香はそこにいた。どうしてこんなところに、と疑問が一瞬過ぎったけれど重要なことじゃない。本当に重要なのは私が春香ちゃんを助けてあげられるかだ。
 聞こえるように出来うるだけ大きな声で呼びかけたが春香ちゃんに変化はない。聞こえてないのではなくて聞こえているが無視を決め込んでいる様子だ。でも、お構いなしに私は駆け寄る。近くまで寄って愕然とした。
 確かに彼女は天海春香だ。けれど。
 目がひどく、虚ろだった。
 あんなにイキイキとしていた瞳の中の光は失われて、自分が生きているということさえも忘れているような深淵よりももっと深い、どん底の瞳だ。
 まずいと直感した。
 あの瞳を私は覚えている。あの日の事件以降、助けられてから数日間の自分の瞳だ。あの時自分が何を考えていたかはっきりと覚えてはいないが、一度くらい死のうと思ったことはあった。実際に私が死ななかったのは、事務所の皆が、春香ちゃんが手を差し伸べて私を助けてくれたからだと思う。だから今ここで助けられなかったら、最悪の場合…。雑念を振りほどく。とにかく話しかけないといけない。これ以上春香ちゃんを底へ向かわせちゃいけない。

「春香ちゃん! 春香ちゃん! 私、雪歩だよ! 春香ちゃんを迎えに来たよ!」

「…」

「もう平気だから! 一緒に帰ろう? みんな春香ちゃんのこと心配しているんだよ!」

「…」

「私、今までずっと春香ちゃんに頼りっきりだったけど…これからは私も春香ちゃんに頼られるように頑張るから!」

「…」

「…春香ちゃん?」

「…」

 春香ちゃんは喋ってくれすらしない。どうして、だろうか。私は、私は喋りかけられて、手を差し伸べられて立ち上がることが出来た。だから春香ちゃんもそうすればきっと。
 …いや。違う? 何か大事なことを見落としている気がする。私と春香ちゃんの決定的な違い。同じ境遇でありながら春香ちゃんは今も私の手を取ってくれない。その理由。
 頭が、胸がやけにざわつく。気付かなきゃいけなかったこと、それも春香ちゃんに会う前に気付いてあげなきゃいけなかったこと。

「あのね」

 ぼそっと声が聞こえる。独り言のように細く頼りない声はそれでいて間違いなく春香ちゃんの声だった。途端に私は逃げ出したくなった。でも体が震えて、動かなかった。

「私ね、雪歩が怯えきってたときに私がプロデューサーになるって言ったよね? あれは雪歩を助けるためにってそう思い込んでた。でも違った。本当は、本当は…」

 おぼろげに、儚げに言葉を紡ぐ春香ちゃんに私は何も声をかけてあげられない。

「雪歩は頑張ったよね。男の人にひどいことされて、それでもアイドルを続けて今じゃもうBランクだもん、きっとAランクも夢じゃない。美希にも千早ちゃんにも負けないって思う。私も嬉しかったよ…最初はね」

 心臓が跳ねる。頭の中では警告めいたシグナルが駆け巡る。

「いつからか、多分雪歩が普通に眠れるようになって売れ出した頃からかな。私の中に薄暗い気持ちが芽生えたんだ。最初はそんなことないって思えばすぐに掻き消せたけど、日に日にその気持ちは私の胸を支配していってね、今じゃすっかり逆らえないの」

 まともに聞いてたら私は耐えられない。でも耳を塞ぐことも足を動かすことも出来ない。

「もう、雪歩への嫉妬が止まらないんだ。なんで私じゃなくて雪歩がって、私だってこんなことにならなきゃ誰にも負けないって思えてたのに、こんなプロデューサーなんかにならずにすんだのにって」

 本当にこれ以上は。

「そうして思っちゃったんだよ」

 聞いたら。

「雪歩なんて」

 いけな

「元の頼りない雪歩に戻ればいいのに、って」

 私は逃げ出した。差し伸べるはずだった手を懸命に放って逃げ出した。



「あ、はは。そうだよ、ね」

 当たり前のことが起きただけ。私が雪歩に酷いことを、本当に酷いこと言ったのだから雪歩が帰ってしまうのも当たり前。起きることが運命付けられたような事態が順当に起こっただけ。でもなんでだろうな。

「これで吹っ切れると、思ったの、に…ぜんぜん、なみだ、とまっんない、よぅ」

 私は心のどこかで期待していた。棘のような言葉を放った私に、それでも手を伸ばしてくれる誰かの姿を。そのシルエットは。

「ゆ、きほおぉ…!」



 走り疲れて息が切れて地面に手足を着いてようやく止まった。息が苦しい、酸素が欲しい、でも一番苦しいのは心、一番欲しいのは許し。それさえあるのなら酸素なんていらない。今の私にとっては生命活動を維持するのは必須なことじゃないから。
 私と春香ちゃんの決定的な違い、それは加害者の違いから来る心の持ちよう。私の場合は見ず知らずの男性でそれっきりだった。けれど春香ちゃんの場合は、他ならぬ私だった。常に私に味方をする立場でありながら心の中ではずっと私を責めたくてたまらなかった。明らかに春香ちゃんのほうが心の負担が多い。そう、過程が違えば結果も違う。だから私は救われて、春香ちゃんは救われなかった。助けてあげたい自分が一番春香ちゃんの負担になる存在だった。私はそれに気付くべきだったのに、自分のことに必死で調子に乗って春香ちゃんを救えるのは私だけしかいないって思ってしまった。本当に、馬鹿みたいだ。

「ゆ、雪歩さん!? どうしたんですか!」

 今の私の気持ちとは対照的な明るくはつらつで元気な声。でも誰だったか、うまく思い浮かべることが出来ない。今は何も考えられない、考えたくない。

「そんなところで手を突いちゃ汚くなっちゃいますよ! 疲れてるならとりあえずここに座ってください!」

 そう言って差し伸べられた手。私は、春香ちゃんに、手を差し伸べることは、出来なかった。私もこんな手みたいに何にも考えずに差し伸べることが出来たらどんなによかっただろう。

 泣いてしまえば楽になれる。

 ここで諦めればもう傷つかないで済む。

 そう、私は頑張ったんだから。

「うう~、そんなんじゃ私、雪歩さんとのこれからデュオでやっていくのに、どうすればいいかわからなくなっちゃうかも」

「…えっ?」

 デュオ、二人組み? 私とやよいちゃんが? 二人で活動を? なんで?

「これじゃ春香さんとの約束守れないです…」

「は、春香ちゃんとの約束って!?」

「うわっ! ゆ、雪歩さんいきなり元気に」

「お願い、その約束って何!? 私に教えて!」

「は、はい! 私、春香さんに雪歩さんとアイドル活動してみない? って言われてたんです。雪歩さんの男性恐怖症を一気に治すためにやよいの可愛さと元気さが必要なのって言われて。その時の春香さん、すごく怖い顔してて私泣いちゃったんです。そしたら春香さん慌てて私にごめんねって言ってくれました。ちょっと雪歩のことで焦ってて急ぎすぎちゃったって」

 私はそんなこと聞いてない。春香ちゃんの口からそんなことはただの一度も出たことはない。

「私が泣き止んで少し考えたいですって言ったら春香さんがいっぱい紙の束を渡してくれて、これをやよいのプロデューサーに渡して検討してほしいの、雪歩は本当に芯の強い子で私なんかよりすっごいアイドルになるから、って」

 私なんかよりすっごいアイドルになるから、その言葉を聞いたときまた涙が溢れそうになる。自分が担当していて、嫉妬しているアイドルのことをそんなふうに言える。とっても強いと思う。でもそれ以上に。

 どれだけ自分の心を傷つけたのだろう。

 春香ちゃんはどれだけ痛かったのだろう。私以上に自分の心を傷つけて、それでも私をトップアイドルに導こうとしてくれた。私とやよいちゃんを組まそうとしたのもきっとその過程に必要なことなんだと思う。やよいちゃんはまだあまり人気はないけれど、その可愛さが広まればあっという間に私なんか追い越しちゃうくらいの爆発力があると思う。だからこそ春香ちゃんは私が確実にトップになれるように。そして多分。

 これ以上私を憎まないように。

 誰かと一緒にプロデュースすることで少しでも私への嫉妬心を押し殺そうとしてくれたんだ。誰にも言わずに、自分ひとりで解決しようとしたんだ。どれだけ傷ついても、折れ曲がりそうになっても私にも周囲にも笑顔で。
 …私はこんなところで何をやっているんだろう。春香ちゃんは、助けを待っているんだ。多分それは誰が助けてもいいのだと思う。でも私は、私は!

「ありがとう、やよいちゃん! でもごめん! 私行くね!」

 その言葉だけをやよいちゃんに置き去りにしてまた私は走り出す。数秒後、後ろから頑張ってくださいと聞こえた気がする。


 雪歩さんは私の話を聞いてすっごい勢いで走っていきました。どこに行くのかわからないけど、きっと春香さんのところだと思います。
 私は春香さんと雪歩さんの味方です。千早さんや美希さんは確かに私に優しくしてくれるけどなんだか春香さんと雪歩さんの優しさとは違うかなーって思います。んー、ねっとりって言うのかな?
 とにかく私は早く春香さんと雪歩さんが仲直りしたらいいって思います!
 だから今は精一杯の声で走って行く雪歩さんに向けて応援しなきゃ!

「がんばってくださーい!」


 息も絶え絶えに、それでも足を止めることはなくひたすらに春香ちゃんの元へと急ぐ。私の考えが正しければ春香ちゃんの戻ってこれるラインを超えるまであと僅か。それを超えたらもう誰の声も届かなくなってしまう。止まってなんかいられない。
 どうして春香ちゃんはあんな思い出もない場所に居たのか。答えは簡単だ。そしてその答えが正しいのなら私が向かう場所に春香ちゃんはいるはず。
 
 ここを曲がって、直進して、左に曲がれば、あの通りだ。

 そこは私が襲われた例の通りだった。相変わらず薄暗くて人通りはない。一瞬嫌な思い出が過ぎるがそれも一瞬で消えた。
 春香ちゃんの姿がある。それだけでそんな思い出よりも今やらなきゃいけないと力が入る。だって、これが最後のチャンスだから。失敗したらだめなんだ。オーディションなんかよりよっぽど怖いし難しいけど、絶対にこれだけは落とせない。

「春香ちゃん!」

「…ゆ、きほ?」

 近づくと春香ちゃんは後ずさる。暗闇に慣れた目を凝らして顔を見てみると泣きはらしたように目の周りが赤い。やっぱりそうだ。春香ちゃんは手を差し伸べられることを望んでる。

「こ、こないで! 私は雪歩が嫌いなの! これ以上一緒にいたくないの!」

「…それでもいい。でも春香ちゃん、この手を握って」

「嫌! 嫌だよ絶対ダメ、そんなこと出来ないよ! 私はそんなの期待してない!」

「嘘。じゃなきゃこんなところにこないよ。春香ちゃんだって、女の子だもん。こんな怖いところ一人で通ろうだなんて思わないよ」

「いいんだよ私はもう! こんな最低な私は襲われたって構わない! だからここから消えてよ私の前からいなくなってよぉ!」

「春香ちゃんがそう望んでるならそうしたよ。けど違うよね? 春香ちゃんがここにいる理由は私にはわかる、勿論春香ちゃんにもね」

「知らない知らないわからない知らない! 知りたくなんかない!」

「なら春香ちゃんの大嫌いな私が教えてあげる。春香ちゃんは本当はここに私が来ることを万分の一、億分の一、兆分の一、いやもっとかな。那由他の彼方ほどに望んでた。ここは私が襲われた場所だけど、それだけ私のイメージに残ってる。私がここに春香ちゃんがいるかもと思ってもまずこないはず。だけど、もしかしたら来てくれるかもしれない。そんな分の悪い賭けだったんだよね」

「ち、ちが」

「ここは春香ちゃんにとっての最後の砦。ここで誰も手を差し伸べてくれないなら、春香ちゃんはもう誰の声にも耳を貸さないつもりでいたんだよね? でもね春香ちゃん、これが春香ちゃんにとって幸か不幸かわからないけど私はここにいる。こうして手を差し伸べてる」

「あ、あああ」

「一度は逃げ出したけど、私はここにこうして立っているよ。それが今の結果なんだよ。春香ちゃんの進んだ過程で春香ちゃんが救われないのなら私はその過程を変える。そうして結果も変える。どれだけ春香ちゃんに嫉妬されてもいい、貶されてもいい、傷つけられてもいい。今度は私が春香ちゃんを助ける番、ううん」

「あ、あああ、あああああ」

「私は春香ちゃんを助けたい! だから、この手を握って一緒に最後まで行こう!」

「ああああああああ、う、うあ、うあああああん」

 そうして泣きながら春香ちゃんは私の手を。

 握った。


「あれぇ、またゆきぽがここにいるなんて。きっとまたってことだね、フフフ」

「ふざけろ外道」

「えっ?」

「それ、借りるぞ」

「ちょ、ちょっ―――」

 バチィ

 おっとと、音を出すのは勘弁してくれ。今は雪歩と春香の一世一代の仲直り中なんだ。お前みたいな変態野郎で台無しなんて犬も食わないジョークだ。それにしてもスタンガンか、確かにかさばらないし取り出しやすい。今度からアイドルに常備させることを提案してみよう。

「しかし、しばらく見ない間に逞しくなったな。いきなり電話で私が襲われていたところに来てくださいだなんて。久々の電話であれじゃ思い出話もないよ」

 まっ、おかげで雪歩と春香も仲直りしたし、この変態野郎も警察に突き出せて一石二鳥、かな? 一応あっち側には春香のプロデューサーもいるし、俺はちと離れて警察にこいつの処理を頼むとしますか。


 手を握られた安堵から私も春香ちゃんと一緒になって泣いた。静かだった夜空に漂っていた空気を裂くように泣いた。お互いに溜まっていたものを吐き出すように、全部投げ出して泣きに泣いた。落ち着くのに数十分以上は掛かったと思う。

「…私、疲れちゃったよ」

「私もいっぱい走ったり考えたりしたから疲れたよ」

「あんな厳しいトレーニングこなしてた雪歩なら大丈夫だよ」

「そうしたのは春香ちゃんだけどね」

「だってあれくらいしないと、千早ちゃんや美希、私には追いつけないから」

「あはは、ちゃっかり春香ちゃんも混じってるね? 自慢?」

「そうだよ、私はすごいんだよ? 歌の天才って言われる千早ちゃんにビジュアルクイーンって言われる美希と唯一、張り合ってたアイドルだからね。雪歩も見習うように」

「うん、そうする。でも私だってただ見てるだけじゃないよ。三人とも追い抜いちゃうから」

「…うん、雪歩なら追い抜けるよ。千早ちゃんも美希も、私はもう追い抜かれちゃったかな」

「うん、千早ちゃんにも美希ちゃんにも負けないよ。でも皆追い抜いちゃったら誰も前にいなくなっちゃう。だから春香ちゃんにお願いがあるんだ。私がトップになったらね」

「トップになったら?」

「私のプロデューサーをやめて、ライバルになって欲しいの」

「なにそれ? これじゃ私雪歩のアイドル人生の引き立て役みたいじゃない」

「それじゃそうならないように、全力で私を追いかけてきてよ。私も全力で引き離すから」

「少しは手加減とかしてくれないの?」

「してほしい?」

「そんなことしたら本当に嫌いになるけどね」

「言ってることが理不尽だよ、春香ちゃん」

「そうだね、あはは」

「そうだよ、ふふっ」

 憎まれ口を言い合いながら、私は素敵な未来を想像していた。春香ちゃんがアイドルとして復帰して私の位置まですぐに追いついてきてオーディションで歌いあい、踊りあい、表現しあう。そんな素敵な未来を。

「じゃ行こう、春香ちゃん」

「…」

「春香ちゃん?」

「本当に、私はこの手を握っていいのかな」

「いいんだよ」

「本当に?」

「あっやっぱりだめ」

「ううっ…」

「ほら、行こう」

「あっ」

 そうして強引に私は春香ちゃんの宙ぶらりんな手を取って立ち上がらせる。私にだってもうこれくらいなら出来るんだ。そう春香ちゃんに言い聞かせるように、自分に言い聞かせるように。そうして私たちはゆっくりと歩き出す。私と春香ちゃんの最後の大舞台へ。



 事務所に連絡が入った。雪歩から、内容は春香を見つけて救い出したと。事務所のみんなは大喜びだった。千早と美希の喜びには陰りがあった。トップに近づくとみんなああなってしまうのだろうか。…そんなことはない、少なくとも雪歩はそうじゃない。私が目指すトップは雪歩みたいな、って私は何を、伊織ちゃんは伊織ちゃんらしくトップを目指さないと!
 …でもまあ、今は素直に喜んでもいいのよね。塞ぎこんでた雪歩も、いなくなっていた春香もこれで良くなる。わからないけど、わかる。あの子達と戦った私ならわかる。きっとあの二人は笑顔で帰ってくる。そうしたら私はどうしようかしら。さんざん叱りつけてやる、そうね、そうしよう。だから、今は亜美や真美みたいに、全力で泣いておこうかしら。
 これは別に良かったて安堵して泣くんじゃなくて二人を起こるための前準備なだけ、なんだから。



 春香ちゃんを見つけてから私はあまりレッスンをしなくなった。春香ちゃんはとっても不安そうに見ていたしレッスンしたほうがいいって言ってくれたけど私は以前のように過度なレッスンをしなくなった。そうする必要がなくなった、というのもあるけど一番は春香ちゃんにその姿を見ていて欲しかったからだ。多分春香ちゃんはあの怪我以来、ハードなレッスンしかしていなかっただろうしそれしか見ていないだろうから。レッスンでも楽しいことがあるんだよって思い出して欲しかった。涼くんややよいちゃん、伊織ちゃんとも一緒にレッスンして笑いあいながらレッスンをこなした。元気なやよいちゃんに挑戦的な伊織ちゃん、そんなやりとりをみて朗らかに笑う涼くん。最初は春香ちゃんの顔はやっぱり不安そうだったけど、今では一緒に喋りながらリハビリがてらに軽く踊っていたりする。亜美ちゃんと真美ちゃんのお父さんにも軽いものならむしろどんどんやってくださいと言われたし、全部ばっちり。
 涼くんが男の子だったって私が知っていると春香ちゃんに言うと、騙しててごめんって言われたから涼くんは普通の女の子より可愛いから大丈夫って言ってあげた。そしたら涼くんがぎゃおおんって叫んで、みんなで笑った。その時の春香ちゃんの笑顔が忘れられない。

 悩みも苦しみもあるだろうけど、全部ひっくるめて初めて笑ってくれたから。

 さて、これからが一番の頑張りどころだ。私はこの状況で、千早ちゃんと美希ちゃんに勝つのだ。じゃないとこれまでやってきたこと、全部水の泡になっちゃうから。でも不思議と負ける気はしない。今の千早ちゃんや美希ちゃんにはどうあっても負ける気がしない。
 そうして春香ちゃんが目指した、萩原雪歩が挑戦するランクAへの突破口。アイドルフェスティバルの日がやってきた。

 信じられない。本当にあの泣き虫で臆病な萩原さんがこの舞台に上がれるまでに成長してきたなんて、誰が予想できたのだろう。少なくとも私は微塵も思わなかった。春香があの日脱落した日、内心ではこれで相手は美希だけだと思っていた。後になって自分でも気分が悪くなる感情だったけどそう感じたのは事実だ。ところがどういうことなのか、その脱落したはずの春香が萩原さんのプロデューサーとして私たちと同じ舞台に立っている。ボロボロだった二人だったはずなのに。立ち直るので精一杯だろうと予測していた。

「大丈夫か、千早」

 プロデューサーに話しかけられて、どうしてそう聞かれたのかを考えてようやくわかった。私の体はガクガク震えていた。武者震い、いやそれ以上に何かを恐れるように震えていた。その何かが、萩原さん?

「…冗談じゃないわ」

 あんなぽっと出の子に負けるわけにはいかない。萩原さんには悪いけれど美希と一緒に完膚なきまでの力の差を見せ付ける。

「千早…」

「…大丈夫です、私はもう足踏みしません。だからプロデューサー、私を応援してください」

「…ああ」

 私だって自分の夢だけじゃない、誰かのために戦ってるってこともわからせてあげる。



 あーらら、雪歩、厄介なことをしてくれたの。さっき見かけた千早さんの目、前にあるものはすべて蹴っ飛ばしちゃおうって目をしてたの。これじゃ勝つのもまた一苦労、あふぅ。でもでも、美希も負けてあげないの! 誰よりもハニーのために勝つって約束したから。正直雪歩程度じゃ私と千早さんの腰元にも及ばないって感じ。

「美希、お前平気か?」

 ハニー? 何を言ってるんだろう。美希はいつでもおがわが流れる豊かな大地にたつ大木のようにゆるがな

「顔、引きつってるぞ」

 …本当だ。すぐに鏡に振り返れば自分の顔なのか不思議に思うくらい、顔全体がぎこちなく引きつってる。千早さんと、春香と戦ったときもこんなことなかったのに。どうしてかな?

「美希、油断はしないようにな。足元掬われるぞ」

「も、もちろんなの! 今日は、今日だけはハニーのために負けられないしね!」

「勝ちにこだわるのはいいことだが、力が入りすぎて」

「大丈夫大丈夫、なの!」

「なら、いいけど…」

 胸がドキドキするのは勝ってAランクになれるから、だよね?

 

 いよいよここまできた。本当なら、私も私としてここに立ちたかったけど今日は違う。今はプロデューサーとして雪歩を見守ろうって決めたんだ。正直、まだ雪歩への嫉妬心はある。多分簡単に吹っ切れるものじゃない。けど今この瞬間だけは本気で、本心で、全身全霊で雪歩を応援できる。応援したい。そして、勝ってほしい。雪歩のために、雪歩のプロデューサーのために、雪歩を支えてくれた人たちのために、そして私のために。勝って証明してほしい、私がやってきたことは無駄じゃなかったって。身勝手なのはわかっているけど願わずにはいられず私はそれを雪歩に伝えてしまった。もっとプロデューサーとして掛ける言葉があったはずなのに、私は。
 でもそんな私に笑顔で雪歩はこう言った。

「初めて本心で喋ってくれたね、嬉しいなぁ。もちろん、勝ってくるよ。応援、してくれる?」

 ついこの間まで臆病者というレッテルを貼られていた子だとは思えない、頼れる清々しい笑顔でそう言ってくれた。だから今の私は、天海春香は萩原雪歩を全力で応援できる。
 プロデューサーとして、雪歩の友達として、そしてなにより。

 未来のライバルとして、この舞台で戦う決意と共に。



 オーディションが始まる。トップバッターは美希ちゃんだ。うわぁ、すごい派手な衣装。あんまり激しい動きをすると出ちゃいけないところが出ちゃいそうな過激さ、その過激さにも負けない美希ちゃんもすごいなぁ。ダンスも、歌もどれをとってももう立派なAランクアイドルじゃないかな? うわっ、危ない! なんか今日は動きのキレが悪いなぁ、普段はもっと笑顔でぱぱっと綺麗に決めちゃうのに。緊張してるのかなぁ。

『じゃあねなんて言わないで またねって言って』

 ここすっごく感情こもってていいなぁ。こもりすぎて背筋が凍るほどだよ。でもなんでこのアレンジなのかな。確かにテクノは美希ちゃんに似合ってるとは思うけど、今この場でやるならいつも通りの『relations』のほうが美希ちゃんらしくていいと思うんだけど。

『壊れるくらいに愛してー!』

 もう終わっちゃった。時間を感じさせなくてとっても良かった。でもやっぱりいつも通りのほうが私は好きだったなぁ。どうして急に変えてきたんだろう? もしかして私を意識して、ってそれは美希ちゃんに限ってないよね。あはは。

 うあーそのまま続けて千早ちゃんだ。やっぱりオーディションの千早ちゃんって威圧感すごいなぁ、とてもじゃないけどあれは私じゃ真似できない。衣装は民族衣装を意識してるから 『arkadia』かな? ってこれは違う。

『泣くことならたやすいけれど 悲しみには流されない』

 民謡風の『蒼い鳥』を千早ちゃんが歌うと、すごい迫力だ。本当にどこかの部族が崇めるように歌っていてもおかしくない。けど、少しまだ練習不足なのかな? あの千早ちゃんが少し走り気味になったりしてる、さすがに音を外したりはしてないけど、ちょっとこのミスマッチは減点対象になっちゃうかも。だったらいつも通りの完璧な悲壮の『蒼い鳥』のほうが決まってると思ったんだけどなぁ。

『生きてゆけない私だから』

 こっちも時間を忘れて見入っちゃった。やっぱり二人ともAランクアイドルの力はとっくに持ってるんだね。《カレリア・シフト》なんかなければきっと春香ちゃんも…。そう思うとちょっと怒りたくなってきたかも。こんなのがあるから。

 美希ちゃんも千早ちゃんも、私に負けちゃうんだ。



 美希と千早ちゃんの番が終わった。すごかった、その一言だ。でもどこかおかしくもあった。ただあまりにも微細すぎるその歪さは審査にどう影響するかはさすがにわからない。もっとわからないことは、雪歩があんなに落ち着いていることだ。私がここに立っていたらもっと余裕がないと思うから。そう、今さっきの美希や千早ちゃんのように。
 でもこれまで私たちスリートップは幾度となく戦って勝ったり負けたりしてたけど、こんなに余裕がないことはなかった。ならどうして? その原因は…まさか!



 他の三組が終わった。なら私の番だよね。他の三組もすごかったけど、美希ちゃんや千早ちゃんほどじゃなかった。完全に二人の力に縮こまってしまった。きっと、私も変われてなかったらあの三組と同じようにガタガタ震えながら何にも出来ずに泣いちゃうんだろうな。でも、私はもう変われたから大丈夫。だってほら、変えてくれたプロデューサーが今も応援してくれてる。それだけじゃない、影でずっと私を支えてくれた一人目のプロデューサーも、やよいちゃんも伊織ちゃんも涼くんも、もちろんここで戦う千早ちゃんも美希ちゃんも全員が私を変えてくれたと思えるから、私は胸を張って戦える。そう、涼くんの胸よりもある胸をもっと、ね!



 残るは萩原さんただ一人。美希以外は平気。美希だって細かいところでおかしかった。十分に勝てる要素はある。萩原さんだって、いくら急成長したからって私にはきっとおよばな

『Kosmos.Cosmos 跳び出してゆく 無限と宇宙(そら)の彼方』

 ノーアレンジ、ね。これは舐められているのかしら。『Kosmos,Cosmos』はそもそも歌詞に意味もないようない近未来をイメージしたそれだけの曲。私の『蒼い鳥』や美希の『「relations』ほどのメッセージ性は欠片もない。表現力も競うためには、普段の曲からアレンジしてそのアレンジをどこまで上手く表現して、かつ歌詞の持つメッセージを損なわずに伝えるか。これが最重要のはず。それをないがしろにすれば負けるのは必然。なのに。

 どうして私はこんなに震えてるの?

 意味などないはずの歌詞から確かに感じる意思、生活感のないメロディで抑揚も激しくない歌声から感じる感情。これはもう、意味を持たざる歌に命を吹き込んでいる。そうとしか思えないほどに、萩原さんの歌は誰もを惹きつける。他のアイドル達、審査員、そして私。きっと、美希も。


 あーあ、これはだめなの。雪歩、完全におおばけしちゃった。どうやら千早さんも美希と同じで震えが止まらないみたいだね。普通の人が歌ったら意味深なのに、雪歩が歌うだけでこの歌事体が踊ってるっていうか、なんていうのかな。でもあれだなぁ。

 完全に表現力も美希以上で下手したら歌唱力も、千早さん以上なの。

 どんなレッスンしたら、こうなれるのかな。美希もそれなりにお昼寝とか我慢してここまでがんばってきたんだけど、それだけじゃ足りなかったのかな。…むぅ、悔しいな。いきなり後ろから追いついてきてあっという間に追い抜くって、美希だけが出来るって思ってたんだけどな。

『マイナス100度の世界で 何も聴こえないけど ほら』

 …聴きたくないのに伝わっちゃうなんて、ずるいの。



 これが雪歩なの? 本当に、嘘じゃなくて、これが雪歩?
 だってこれじゃ完全に雪歩の独壇場じゃない。何よりこの歌、私と雪歩のために歌われてるようなものじゃない。こんな大一番であの子、とんでもないことを。

『少し怖いけどキミを信じてる きっとこのままずっといけるよ』

 …そこだけ二番の歌詞を使うなんて、ずるいよ、雪歩。でもこのままじゃないけないってことも言ってるんだよね。うん、ありがとう雪歩。でも今はね、私。

 雪歩のことを応援するから!



 ステップを刻んで、歌声を響かせて、伝えたいことを身体全体で表現する。『Kosmos,Cosmos』は元の歌詞にほとんど意味はない。だからその分、自由に詰め込めるんだ。日によって、自分の気分によって、この歌は表情を変えられる。それがこの曲の強み。限定されたものを突き詰めるよりも、飽和しない可能性を秘めた曲が私にはある。そこになんだって詰め込めることだってできる。だから負けるわけがない。それも見失っていたあの二人に私が負けるわけがない。
トップアイドルという限界点しか見ていなかった二人と、トップアイドルになった後のことを無限に考えて臨んだ私。そして結果はあとからついてくる。結果ばかりに気をとられていた二人が、過程を楽しんだ私に負ける。逆に私は勝てる、それを春香ちゃんに見せてあげたかった。確かにトップアイドルになるためには辛いことも悲しいこともたくさんあるけれど、それに目をくらましちゃいけない。悲しんだ分だけ喜んで、辛かった分だけ報われる。甘々だと笑われるかもしれないけど、私はみんなにそれを証明したいんじゃない。春香ちゃんに見せてあげたいだけなんだ。そんなトップアイドルがいてもいいってことを。

『Nexus for the future Season and the nature』

 私は最後のフレーズに伝えたいことをありったけ詰め込んで、歌い終えた。歌の全部じゃなくていい、春香ちゃんに一番伝えたいことが伝わっていたらいいな。そしたら結果はあとからついてくるだけ。私にはその結果がわかるし、他の二人も春香ちゃんもわかると思う。だってほら、みんながみんな、並みのアイドルじゃないからね。

 その後の審査発表は正直あんまり覚えていない。確か私が合格したのは覚えている。そのあと会場で踊ったような歌ったような記憶があるのだが、オーディションに全力注ぎ過ぎて本当に霧が掛かったかのようにその時の記憶が思い出せない。思い出せるのは千早ちゃんと美希ちゃんが泣いていたのと、春香ちゃんが頑張れって顔でこっちを見ていてくれたことかな。
 無事に本番も終わってお客さんもいなくなってスタッフの皆さんもいなくなってあたりで私は私のプロデューサーを見かけた。この人はこうしてずっと私にばれないように陰ながら応援してくれていたんだと思う。そう思うと嬉しすぎて、思わずプロデューサーの胸にダイブしてしまった。元の男性恐怖症もかなり治ってきていたのかも知れない。けどそうされたプロデューサーはあたふたして

「大丈夫か!? 俺に抱きついて本当平気か!? トラウマ想起してたりしてないか!」

 と前の私以上にテンぱっていた。それがおかしくついつい笑ってしまい、それに釣られたのかプロデューサーも笑い出した。しばらく、お互いにずっと笑いあって、プロデューサーが頑張った雪歩に俺はプレゼントしたいんだが、何か欲しい者とかあるか? と聞かれたのでそれならということで少しの間だけ会場を借りてほしいとおねだりをした。久々に話せることが余程嬉しかったのか、光の速さで現場の偉いスタッフさんにお願いして30分もの自由権を獲得してきてくれた。ただプロデューサーは

「どうせなら一時間根こそぎいきたかったが…! 次までにはもっと交渉スキルを…」

 と更なる成長を一人誓っていた。本当に、うれしいなぁ。
 でも今はもう一人のプロデューサーで未来のライバルを送り出す準備をしなきゃ、さあ迎えに行こう。


「歌う、って私が? ここで?」

「うん、あんまり時間ないから一曲だけ」

「でも私はただのプロデューサーだし…」

「ただのプロデューサーは担当アイドルから逃げ出したりしないよ」

「ううっ」

「さあさあ、私への罪滅ぼしだと思ってぱーっと歌って、ね?」

「うーん、でも来年ここでちゃんと歌いたいなーと思ってたりするんだけど」

「それはそれ、これはこれ」

「うぅ、雪歩をこんなに強気にしたのは一体誰なの!?」

「間違いなく春香ちゃんだよ」

「そうね、春香のせいね」

「そうなの、春香のせいなの」

「千早ちゃんに、美希まで」

「おかげでこれまでずっと狙ってきたアイドルフェスティバルを萩原さんに持ってかれたわ」

「そうなの、春香のままだったら多分負けなかったの」

「そ、そんなことないよー! 私だってここに立ってたら千早ちゃんや美希には…」

「でも萩原さんには敵わなかった、よね」

「うっ…」

「私たち三人は雪歩に力及ばずーって感じだから、雪歩の言うことは絶対なんだよ?」

「わ、わかったわよ! 歌えばいいんでしょ、歌えば!」

「そうよ、ふふっ」

「そうなの! あはっ☆」

「では天海春香さんに歌ってもらいましょう、曲は『太陽のジェラシー』!」

「ちょっ雪歩! 曲のセレクトすらさせてくれないの!? というかアカペラ!? なにこれ罰ゲームかなんか!?」

「そうかも、あはは」

「そうかしらね、ふふっ」

「そうかもなのー、あはっ☆」

「わ、笑うなー!」


「女三人寄れば姦しい、が四人だともっとだな」

「まあお互い久々に担当アイドルの笑顔が見れたんだからいいんじゃないか、千早P」

「そうですね、美希P。本当、どれくらいぶりかな」

「俺なんて、今しがた久々に顔を会わせられるようになったばかりだがな」

「ちなみに俺は担当アイドルが行方不明な時期がありました」

「いや、あんたら二人には敵わんし、敵いたくもない」

「同感ですね」

「まあ春香Pと俺みたいなのは今後出ないでほしい、切に願うよ」

「まったくだね、まあこれから春香の大逆転劇が始まるからよろしく」

「いやいや、雪歩の実力はまだまだこんなもんじゃないですよ? わかってます?」

「冗談はよしこさんだぜ、うちの美希の笑顔が最強に決まってるだろう?」

「貴方達は、ギャップ萌えって言葉を知らないのですか? まあなくても千早が一番ですけど」

「よしお前ら表に出ろ、美希の魅力を余すところなく伝えて泣かす」

「別にいいですけど土下座しても春香のチャームポイント講座は止まらないからね」

「ご冗談を、千早の良いところ全て完膚なきまでに叩き込んであげますよ」

「雪歩ディスってるの? 言っとくけど雪歩がきゅってしたらファン何人か逝ってるから」



「やだ…なにこれ…」

 罰ゲームかの如く歌わされている春香の横で満面の笑みでそれを見守る美希と千早と雪歩。まだこちらは微笑ましいけれど、その更に右隣では大人気ない担当アイドル自慢大会が始まっていた。ここはいままさにボケ倒し大会と化している。ならば私がすることは何か、決まっている。ボケがあるなら、ツッコミもまたしかり。

「覚悟しなさい…あんたたち。心配させた分、きっちり突っ込ませてもらうからね!」

 その後ツッコミというなの恐怖制裁が始まったのは言うまでもない。


 あれから、6ヵ月。春香の足は無事に治り必死のリハビリのおかげでみるみるうちに回復していった。本人曰く

「レッスンより辛かったです! いやこれ本当ですよ!?」

 と久々のTVの場でそう言っていた。お茶の間を笑わすのは最早天賦の才である。
 彼女、天海春香は急激にまた人気を伸ばしている。一時は完全に低迷していたものの、いまではまたBランクにまで戻ってきていて、Aランクも時間の問題だ。

 そして千早と美希は既にAランクアイドルとして今もバリバリ活動中だ。歌の千早、表現力の美希と何故か三国志のように大別化されている。そろそろダンスの○○も決めたほうがいいとファンの間でダンスアイドルを決めようとしているが、いかんせん春香はダンスが苦手なため丁度良くとはいかず、現在徐々に人気が上がってきている我那覇 響か菊地 真のどちらかになるのではないかとされている。

 雪歩とデュオが期待されていたやよい、雪歩と戦った伊織、そして雪歩の最初のライバルで友達の涼、この三人がなんとトリオで再デビューした。ユニット名は「スノーライバル」で主に決めたのは伊織とのこと。誰を示しているのかとてもわかりやすい。このユニットも爆発的にヒット中でランクBで春香と白熱した戦いを繰り広げている。
 ライバル視している当人との仲は全員かなり良好らしい、が細かいところは気にしない。

 秋月律子は無事にプロデューサーになり、今はスノーライバルをプロデュース中。アイドルとしての経験、そして培った知識で連戦連勝中の要注目プロデューサーとして下手なアイドルより人気が出てしまっていて、これ事体に本人は

「悪い気はしないけど、アイドルに悪いからあまり言わないでくださいね?」

 とのこと。カレリア・シフトのことといい何故か少しずつ不遇な彼女に何故かファンがいて下手をするとアイドル時代よりいるとかいないとか。

 ちなみに担当アイドルのプロデューサーは律子よりもしっかりしておらず毎日事務所でうちのアイドルが、いやうちのアイドルがと担当アイドルの魅力を言い合っている。アイドル達も恥ずかしいようだがまんざらではなさそうにはしているのでいいのだろう。

 そしてこの物語の渦中の人物、萩原雪歩はと言うと。

「うぅ、犬がいて、通れませんー…」
 
 犬に悪戦苦闘していた。これが先ほど千早と美希を退けたアイドルと同一だとは思えない引け腰っぷりだ。男性恐怖症はかなり緩和したものの、犬はまだ苦手らしい。
 だが雪歩がAランクに上がったときに私以外にも765プロにはもっともっとすごいアイドル達がいっぱいいます! とまさかの執行委員会に直談判。それが世論を揺るがし、最後には765プロにおける不利なオーディション改正なども取りやめ、執行委員会事態を一度解体、公正な人物で構成し、改めて執行委員会を作り直した。一アイドルの一声でそこまでなることは世の中に激震をもたらし、今、それはもう第二アイドル時代へと突入していた。
 それの頂点にいるのが雪歩のはずなのだが、未だに犬とにらみ合っている。確かに昔の彼女なら睨むあうことさえ放棄して逃げていただろうから、成長と言えば成長なのだろう。

 そんな雪歩だが、数ヵ月後オーディションがある。とは言ってもこれは公式なものではなく、765プロのアイドルだけの限定できなものではあるが、その模様を全国で放送する。審査員も不公平がないように担当プロデューサーは全員応援に徹していただき、事務所からは律子(プロデューサーではあるが贔屓はしないため)、軽口さん、そして公式オーディションを担当する数名で審査する予定だ。正直、公式なオーディションよりも難しいと専らの噂だ。けれど勝敗に関係なく参加アイドル全員が歌を歌うこととなっているためそれまでの厳しいオーディションとは違って気楽に見れるのは嬉しいと、全体的な視聴者層に受けそうではある。
 勝つのは雪歩か、春香か、千早か、美希か、スノーライバルか、はたまたまだ見ぬ765プロのアイドルか。それは、数ヵ月後のお楽しみ。



「うぅ、なんでよりによってこんな日にも犬と遭遇しちゃうかなぁ」

 グルルルゥゥゥゥ…

「こ、こわいよぉ! 誰か助けて~!」

 ううぅ、ガウガウッ!ガウッ!

 …キャイン!

「あ、あれ? は、春香ちゃん!?」

「電柱の影に隠れてる怪しい人陰が見えたと思ったらやっぱり雪歩だったよ」

「ありがとう~! 私一人じゃ会場につけなかったよー」

「いや、それはまずいから、犬嫌いも直そうね?」

「うう、がんばってるんだけどなぁ…」

「これが私のライバルかぁ、なんだかなー」

「あはは、まだ私のほうが上だもんねーいえい!」

「むぅ、さすがSランク。余裕しゃくしゃくだね。でも負けないよ!」

「あはは、でも会場に着くまでは一緒に行こうよ」

「それはいいけど、これから切磋琢磨するもの同士で…まあいっか」

「うんうん、私たちはライバルであり友達であり」

「仲間でもある、だね」

「そうだよ、だって私たちみんな!」

「ストップ! それ以上はだめ! 意外と亜美と真美あれ気にしてるから!」

「ええー可愛いのに…」

「ほ、ほらほら! 遅刻しちゃうよ、行こう」

「…うん!」

手を差し伸べられて、握った。

手を差し伸べて、握られた。

私は忘れない。

私は忘れない。

春香ちゃんがプロデューサーだったことを。

雪歩のプロデューサーだったことを。

…to be continued ?
2011.03.08 Tue l 自作小説 l COM(5) l top ▲

コメント

……見事!
通りすがりのPですが、お三方の連作SS、読みきらせていただきました。
いきなりのハード&シリアスな展開からのスタート。
やっぱり人間なんだし綺麗事だけじゃすまない各々の心理描写。
そして、雪歩と春香の絆……
すみません、雪歩がKosmos,Cosmos歌うくだりで実際に原曲流してみると、歌詞の内容がこの話の雪歩と春香にダブって聞こえて涙腺がマッハなんですが……;;


……ま、これ以上いうと何もかもが野暮になりそうなので。
本当に、いいもの読ませていただきました!
……強くなったなぁ、雪歩。春香も、がんばって!
2011.03.09 Wed l 黒耀. URL l 編集
感動した!
皆さん、よく頑張りました!
下手に言葉を重ねることは、かえって失礼になると思うほど、感動しました。
お疲れ様でした。そして、素晴らしいものを有難うございました。
2011.03.08 Tue l マサ・ゴルミ. URL l 編集
お疲れ様でした!
すばらしかったです。非常に綺麗に締めくくられていて。粗筋の時点では書いた私自身が、春香がいなくなる理由がわからなかったのですが、上手くできているなと素直に思いました。面白くもあるし、興味深い。つまりinterestingという・・・いや、何でもありません。

決して手を抜いたわけではありませんが、御二方の作品を見てると、私はもっと頑張ったほうが良かったなと感じます。

今回は非常に勉強になったと思います。お疲れ様でした!
2011.03.08 Tue l 緑虫. URL l 編集
取りあえず、ご苦労様!
正直、シンドいパスを出してしまったと思いましたが、ハードな環境で見事ゴールを決めましたね。
意外な展開だと思いましたが、流ぬこさんの持ち味も生きていると思うので、それぞれのカラーが出た点だけでも収穫です。
色々設定も拾ってもらい、自分的には何もいうことはないです。
まずはお互いに良い勉強が出来たことが、何よりだと思います!
2011.03.08 Tue l 月の輪P. URL l 編集
最高でした!
…言葉になりません。最高でした。
2011.03.08 Tue l 異邦人. URL l 編集

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