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2011/06/17 (Fri) 《リレーしm@ster》「律子、鴻漸之翼」第ニ回



一回、ニ回、三回。コール音が鳴り響く。いくら気持ちが昂ぶっている、とは言っても緊張は止まってくれない。間違いなく、これまで生きてきた中、秋月律子の人生の中でこれほどの山場はないだろう。
四回、五回、そして六回目のコールの途中に、電話が繋がった。心拍数が跳ね上がった、気がする。それでも決意は。
「もしもし、お忙しいところお電話してすいません社長」
『いやいや先は私が電話をかけたのだ気にしないでくれたまえ、それにしても今日はお疲れ様だったね』
やはり今日の一件はもう社長の耳に届いているようだ。それなら社長にもわかるはずだ。今日一日、私が何を考え、何を見て、何を思ったのかを。後は私が言うだけですぐに物語の序章が始まる。
「社長の殺人スケジュールに比べればどうってことありませんよ」
『確かにね、はっはっは』
「そんなお忙しい社長にお話があります、今日は事務所に帰って来れそうですか?」
『勿論、今現在そちらに向かっている途中だ。あと数十分で着くだろうから待っていてくれたまえ』
「わかりました、お待ちしておりますね」
『はっはっは、いつも以上に固いぞ律子君』
そう笑いながら電話は切れた。固くならないほうが嘘だ。私はこれでもまだぴちぴちの十代で、正直な話右も左もわからないことばかりで、ここまで来るのだって結構不安ばかりだった。
計算をすればするほど失敗の確率が怖くなる。予想すればするほどその未来を曇らせる。それでも傷つくのを恐れず進んできたのだ。
今、私は震えている。先ほどからの感情のうねりが治まらないのとこれから突き進む未来への不安とで、武者震いなのか恐れから来るものなのか。どっちも正解が一番あっていると思う。
私は事務所で一人だ。小鳥さんも上がっているらしくこんなに静かな事務所は久々な気分がする。最近はみんな引っ張りだこだから小鳥さんはずっとこんな感じの中で誰かの帰りを待っていたのかもしれない。
そう思うと、私のようなアイドル兼任の事務員よりもよほど辛い気がした。誰もいないのは、寂しい。私たちにはいつもおかえりと言ってくれる小鳥さんがいるけれど、小鳥さんにはそれがない。
そんな小鳥さんがアイドルだったら、とこれからの私の未来への妄想とシンクロさせる。…全然アリだ。
そのままどうすればいいかを具体的に考える方向へと脳みそがスイッチする前に事務所の出入り口のほうから足音が聞こえてきた。十中八九、社長だろう。
この時間帯に、私たちのような女性では出せない革靴を履いた男性の足音。こればっかりは私がどれだけ熟成しようとも出来ないのだろうなと少し残念に思う。足音は扉の前で止まり、ゆっくり扉が開く。
まあ、黒い。相変わらずだが、黒い。それが当たり前すぎて、日常過ぎて少しだけリラックスしてしまう。
「いやあ、すまない。待たせたね」
「そんなことないですよ、話があるのは私ですから待つのは当然です」
「ふむ先ほどまでの固さはなくなったようだな、感心感心」
「いつまでも縮こまってもいられませんから」
私は私のために進まなければならない。進みたいのなら、こんなところで足踏みなんてしていられない。してちゃいけない。
「うむ、いい目をしているな」
「社長、私秋月律子は、プロデューサーになりたいです」
「…よろしい。なら早速だが、なるための条件は三つ」
一体どんな条件? ファン人数の一定以上の獲得? 自分自身をセルフプロデュース? 何であれ投げ出すつもりは毛頭ない。それが自分なりの覚悟だ。
「一段といい表情になったところ悪いが、そんな難しいことではないよ。まず一つ、君もお世話になったであろう芸能記者、この人たちの手伝いをする」
「芸能記者と言うと、善永さんでしょうか?」
「もちろん、悪徳君でも構わないよ。そして二つ、961プロの社長である黒井の秘書を勤めること」
「なっ!?」
黒井って、あの黒井社長? どうしてわざわざライバル事務所の、それも社長の秘書をやらせるなんて、一体どういうこと? それに悪徳さんでもいいだなんてますます訳がわからない。
「三つ、ファン感謝祭フェスへの参加だ。勿論、『プロデューサー』としてね」
「…これがその、三つの条件ですか」
「ああ、そうだとも」
三つめはわかる。プロデューサーとしての才能、力を見るため。これに対して異論は一切ない。一つめの芸能記者の手伝いをするのも悪くはない。アイドルでもなく、プロデューサーでもなくそれでも近い存在。
その視点から受ける印象や思い、これについては知っておいて損はないはず。ここまではいい、けれど。
「黒井社長の秘書、する必要があるのでしょうか?」
「無論だ。ああ、芸能記者の手伝い及び黒井の秘書は一日ずつだ。期限がないということもあれば、765プロのアイドルが961社長の秘書をやっているなんて噂になったらそれはそれで困る」
「そのリスクを背負ってでも黒井社長の一日秘書は意味があることだ、と?」
「その通りだ」
「…私にはそうは思えません」
「律子君、君は頭が良くかつ柔軟に物事を考えることが出来る、がこれからはプロデューサーとしてその聡明な頭脳を酷使することになる。アイドル時代と比べ物にならないほどに。そうなってしまったとき、黒井の秘書としての一日が役に立ち、そして抑止力となってくれるだろう」
「抑止力…? ですが社長」
「律子君は私が出した条件を変えることが出来るほど、偉くなったのかね?」
「す、すいません」
「いやいや、こちらも言葉に棘が出てしまったね。だがこの条件は変えられない。これが嫌なのであれば、このままアイドルを続けてくれたまえ」
「…いえ、やります。この条件で」
「おお! やってくれるか、律子君」
「はい」
「ならば急ぎで悪いが早速明日から実行してくれたまえ。まずは一つめの、芸能記者の手伝いからだが、なにぶん今日はもう遅い。どちらの芸能記者を選ぶかは後ほどメールだけ送ってくれればこちらで手配しておく。今日はもう帰って休みたまえ」
「わかりました。では遅くならないうちにメールをお出しします」
「急がなくても良い、と言いたいところだがなるべく早めだと助かるのが本音だ。すまないね」
「あれほどのスケジュールなら仕方ありませんよ。それでは、今日はありがとうございました。失礼しますね」
「ああ、ゆっくり休んでくれたまえ。この一週間は君にとっても忙しくなるだろうからね」
「はい」
そうして私は社長が残る事務所を後にした。抑止力とは、役に立つとは一体どういうことなのか。黒井社長の秘書の一日が私を止めてくれる、その意味は今の私には理解できない。
恐らくは秘書をやったとしてもその先を見ることはないと思う。が条件がそうだというのならやるしかない。私はあくまで挑戦者、チャレンジャーなのだから四の五の言う権利なんてない。
そうなりたいのなら、超えなければならないのは今。この一週間なのは間違いなく、ここから先は油断なんてしない。入念に、慎重に、だけど大胆に。だって私はまだ挑戦者だから。無理なんていくらでも出来るから。
そうこう考えているうちにタクシーが私の前に止まる。さすがにこうも黒に染まった空の下を歩いて帰るのはアイドルとして、女として避けたく出費を考えながらもこの選択をした。
タクシーに乗り込み行き先だけを告げて少し仮眠を取る。正直心も身体も疲れている。この後の睡眠に差し支えるかもしれないとも考えたが今はただ目を瞑っていたかった。
そうして私の意識は当然の如く程無くして消えていった。

恐らくは午前七時、その時間に私の脳は睡眠から目覚める。それがいつもの事で日常だったからこそ、呆れるくらいに反復したからこそ身体の細胞の隅々までそう記憶しているのかもしれない。
が、時計を見てみれば午前八時を少し回っていた。昨日のことが余程堪えたのだろう、私のここ数年の生活リズムをあっけなく崩したと言うことか。
実感はまだ湧かないがもう既に運命の一週間は始まっているのだ。それの第一段階、芸能記者の一日手伝いだ。昨日の記憶はタクシーで意識を失ってしまったあたりまでしかないのだが、ちゃんと家にもついていたしシャワーも浴びておまけに社長に善永さんの手伝いをするとメールを打ってから寝たみたいで、起きてみればすべての準備はほとんど整っていた。
出来てなかったとすればシャワーを浴びてすぐに寝た後に起こりえるだろう、寝癖の対策をしなかったくらいだろうか。おかげで髪はぐしゃぐしゃだ。
待ち合わせの時間は正午だそうで、明確な時間はまだ決まっていなく詳細な時間は今日の午前中には決めて送るとのこと。最近のアイドル界隈は注目の新人も多く芸能記者もうかうかしていられない時期なのは何となくわかる。そこに私みたいな素人が手伝いとは、今更だが少し不安になってくる。邪魔にならずに出来ればいい手伝いをしつつ私のこれからの人生の糧になれば言うことは無い。
しかし時間まではまだ余裕がある。寝癖を直すのに一時間だと計算しても二時間強は時間が余る。ここ最近はそれだけまとまった時間が取れなかったので何をするのにも短時間で済ませるようになってしまった。
今何かしようとしても造作もなく終わらせてしまうだろう。
どうしたものか…。

ブーン ブーン ブーン

常にマナーモードの携帯の振動音を聞きつける。本来は振動で気付くのだが私の場合は常時マナーモードにしているため振動の音でわかるようになった。メールの振動音は短め、電話なら長めに振動するのでそれも容易にわかる。はて、着メロは何かに設定していた気がするが思い出せない。
ともかく未だに震え続けている携帯を取らなければ。
「はい、もしもし秋月です」
『ああーやっと出たの! 助けて欲しいの! 律子…さん!』
「少し落ち着きなさい美希。でないと何をどう助ければいいかわからないわ」
『わ、わかったの。すーはー…すーはー…えっとね』
「うん」
『美希今から仕事なんだけどね、車で移動してたんだけど前のほうで事故が起きちゃったみたいで全然進まなくなっちゃって』
「なるほどね、それで今はどうしているの?」
『このままじゃ間に合わないと思って車から出て電車を使おうと思ったんだけど美希、道に迷っちゃったみたいで』
「それでどうすればいいかってわけね。周りに何か目印になるものはあるかしら? なるべく近くにあるものがいいわ」
『…なさそうなの』
「それなら電柱はない?」
『電柱ならあるよ』
「それじゃ緑色の板に文字と数字が書いてある電柱はあるかしら?」
『…うん、あるよ。でもこれが何の』
「いいから文字と数字、あと今日収録する場所を何県何市から教えて。あっ、数字の間にある横棒もちゃんとね」
『わかったの』
美希から聞いた番地をパソコンを立ち上げすぐに地図で検索する。これで大体の地点を絞り込める。
出てきた地図では大通りと細い路地が入り組んでいる場所で、恐らく美希は大通りにはいない。
電話越しからでも車の騒音はこちらにも伝わってくるが、それがないってことは車の通りが少ない細い路地のどこかにいる可能性が高い。あたりに何もないのもそのせいだろう。
「オーケー、それじゃ美希。どこかに大きな通りに出られそうなところはない?」
『大きな通りね、うんあるよ』
「一度そっちのほうに出てみて。あと、時間はあとどれくらいかしら」
『一時間くらいなの、多分ここから車を使えば間に合うけど車は使えないし。あっ、大通りに出たよ!』
「そこからなら確かに間に合いそうね。次はまた目印を探すんだけど、美希の好きなお店があるはずよ」
『え…って本当なの! あそこのファミレスのハンバーグは絶品なの! ってなんで律子…さん、あのお店があるってわかったの?』
「それは後で教えてあげる。それじゃ今からそこにタクシーを呼ぶから、そのお店の前で待ってなさい」
『でも車じゃ結局さっきと同じことになっちゃうよ』
「大丈夫、他の道からもいけるようだからそれをタクシー会社のほうにも伝えておくわ。美希、お金持ってる?」
『うん、ちょっとお洋服買おうと思って』
「悪いんだけど今回のタクシー代はその洋服代で支払って、あとで返すから。でもちゃんと領収書もらってきてね、宛名は765プロダクションで」
『わかったの! 美希、本当に大助かりしたの、ありがとうなの! 律子…さん!』
「はいはい、とりあえずあんたはファンの人に見つからないようにしておけば」
『あれ、知らない人が手を振ってるの。あはは、変なの』
「だから美希、人目につかないように」
『うわーなんだか人がいっぱい集まってきたの。ここで何かの撮影でもあるのかな? あ、握手? いいよー、あはっ☆』
「…タクシーが来たらちゃんと乗るのよ。あと過度なスキンシップはしないこと、いいわね?」
『はーいなの! えっ、サイン? うん、いいよー。あっ、こら写真はだーめ。その代わりに美希とお喋りをしようー』
少しばかり不安だが美希ならそのセンスで何とかするだろう。これ以上は電話をしてても意味がないと判断し、何かあったら連絡するようにだけ言って電話を切った。あとは私がタクシー会社に連絡すれば平気だろう。
直ぐによく使う会社に電話をかけて事情を簡潔に説明したところ、丁度その近辺に一台いるそうなのですぐに向かってくれることになった。
場所を伝える最後に、多分人だかりが出来ているだろうからその中心にいる金髪の美少女を乗せてあげてくれと伝え電話を切った。ある意味大型ファミリーレストランの支店名を言うより見つけやすいだろう。
しかし、大通りに出てものの数分で人だかりが出来るほどの美希の輝き。こればかりはどのアイドルも適いそうにない。お嬢様の伊織、美希とはまた別の意味での天才千早も、勿論私も恐らくは生涯、一目で人を惹きつける点においては美希には及ばないだろう。
もし仮にその美希をプロデュース出来るのなら、これほど楽しそうなことはないだろう。美希ならソロでもデュオでもトリオでもあらゆる場所で輝いてくれるはず。だがしかし私が判断を誤れば一瞬でその輝きはくすんでしまう。扱いの難しい宝石みたいなものだろうか。
そう考えていて程なくして美希からメールが来て、無事にタクシーも来てちょっとしたファンとのスキンシップも取れて楽しかったーみたいなメールが届いた。
本来なら遅刻せずにいけることに安堵してメールどころではない気もするが、この肝っ玉の強さと言うか考えなしと言うか、そう言ったところもまた美希の魅力の一つだろう。
メールに返信して携帯を閉じようとしたとき、着信音は何だったか気になりメニューを開いて調べてみる。

着信音 隣に…

あずささんの曲だった。『隣に…』、言わずと知れたあずささんの持ち歌であり一番人気がある曲だ。それまで歌姫と言われていた千早の歌う『蒼い鳥』と同等の売り上げをたたき出したヒット曲である。
売り上げだけで比べられる物ではないが少なくとも数字の上では同じくらいなのだ、セイレーンとまで言われた天才如月千早の歌う壮大な歌『蒼い鳥』と。
『隣に…』の歌詞とそれを歌い上げるあずささんの伸びやかで美しい歌声、それがまた感情がこもりすぎていて、この曲は三浦あずさが実際に体験した歌なのではないか、つまりあずささんは未亡人なのではないかという噂が広がり、噂が噂以上に現実味を帯びて事務所に確認の電話が鳴り響くこともあった。
その時の小鳥さんに話を聞くと、あれほど忙しかったのは千早の『蒼い鳥』がリリースしてからの一週間に匹敵するとも言っていた。それだけの歌、ということだ。
その衝撃がすごすぎて私はすぐにこの『隣に…』を着メロサイトからダウンロードした。私の携帯に入っている、私自身が登録した唯一の着メロだ。
…例えば、例えば美希とあずささんをプロデュースできるのならその充実しているビジュアルを押しに美希の人を惹きつける天賦の才で、そしてあずささんの歌声で虜にする。そう考えたとき私はぞくっとした。
この二人を、私が、プロデュースできるかもしれないという事実に。その現実がすぐそこに、手を伸ばせばあるということに。
途端に震えが止まらなくなる。美希やあずささんだけじゃない、春香もやよいも雪歩も、他の皆も、そうあの千早だって。あの才の宝庫の如月千早も、自分が、私が、秋月律子がプロデュース出来るかもしれない。
今更ながら私は実感した。時間差でやってきた待ち望んでいたものが手に入るかもしれない喜びを、幸せを。社長が言っていたこの一週間は忙しくなる、今になって身に沁みる。そうして私を奮い立たせる。秋月律子は、確かに今人生のターニングポイントに来ている。
そう思えば思うほど私の身体は無性に何かを求めていた。特に考えること。元来私はくだらないことでも永遠と考えることが好きだった。それならあと二時間半程度何を考えるか、答えは決まりきっている。
そうして私は整理整頓された机の中から765プロの全アイドルの所謂持ち歌が入ったCDをパソコンで再生する。待ち合わせの時間に間に合うには一時間もあればいい。あと一時間半、じっくり考えてみよう。
今後の私の未来予想図を。春香の『I Want』から始まりと同時に私の頭は瞬く間にどうプロデュースするか、それだけしか考えられなくなった。待ち合わせの時間、それの十三分後に私は送れて待ち合わせ場所に到着した。
私としたことが…。ついすっかり自分の世界に入り込みすぎて待ち合わせの詳細メールに気付くのが遅れて、この有様というわけだ。もし仮にこれが営業であれば、私の信用だけでなく765プロ全体のイメージが悪くなる。
プロデューサーを目指す上で、この違いに気付けただけでも不幸中の幸いと思うとしよう。ともかく、今は善永さんを早く見つけなくては。このカフェテラスのどこかにいるはずだけど。
「ありゃ、これはこれは765プロの秋月律子さんじゃあーりませんか」
「…こんにちわ、悪徳記者」
「いや、ちょいと一息つけたんでたまにはオシャレに休息でも取ってみるかと思って。そしたら目の前に美少女が現れるとは今日は運がいい」
「お褒めに預かり光栄です」
「いやいや、こちらこそ恐縮しっぱなしですわ。貴方達アイドルがいるからこその、私ですからね」
悪徳記者、芸能記者の中でも有名な人だ。記者の才能は十二分にある。善永さんにも負けないくらい。それだけであればアイドルに嫌われることもないだろう。
名前の通り、アイドルの粗や秘密を記事にする人なのだ。ゴシップ記事に悪徳ありと言われているとかいないとか。
「それじゃ私用事があるので」
「そうですかい。いやなにそれじゃその用事、ちょいと予想してみてもいいですかね?」
「いいですよ」
「ふ~む…考えてもわかりませんね。よしっ、ここは一つ芸能記者の勘ってやつで当ててみますか!」
白々しい。十中八九、私がここにきた理由を知っているのだろう。それに確証があろうがなかろうが、悪徳記者くらいなら自分で判断して確証がなくても動くだろう。
「ずばり! 恋人との逢引!」
「残念ながら、そんな人いませんよ」
「あらら、そいつは二重の意味で残念ですね」
と、ポケットに入っている携帯が鳴る。鳴るといっても振動音だが、この短さはメールだろう。恐らくは、予想をしつつ悪徳記者の前で堂々と携帯を開ける。反応を窺ったつもりだがそこは一枚も二枚も上手の芸能記者、変わらず薄ら笑いでこっちを見ている。
「メールですかい?」
「はい、ちょっと失礼しますね」
「どうぞどうぞ」
そのままメールを開ける。

善永記者

無題

善永です。すいません、どこで漏れたかはわかりませんが悪徳に嗅ぎ付けられました。
私がカフェテラスに入ろうとする直前に張っている悪徳を見かけたので一時的に引き
返しました。すぐに場所の変更をしようと何回かお電話をしたのですが出られなかっ
たので。とにかく、その場は律子さんにお任せします。次の場所はまたメールで送り
ますので、なんとか悪徳から離れてください。ではまた後ほど。

最後まで読み、はいとだけ書いて返信を出して携帯をしまった。あまり長い間携帯とにらめっこしていればまた何か突っ込まれる。悪徳記者とはそう人間だ。表情の微妙の変化、仕草、態度、ありとあらゆることから何かを嗅ぎつけてそれを突付いてくる。どんな意味であっても凄腕なのだ。
「何か、ありましたか?」
わざとらしく言葉に含みを持たせる。そっちがその気なら、受けて立とう。
「いえ、何も…と言いたいところですが、実は私待ち合わせをしていたんですよ。でもドタキャンされました」
「ほう、秋月律子との待ち合わせをドタキャンする相手ね。して誰か、なんてのは教えてもらえませんかね?」
「それを自力で調べるのが悪徳さんの仕事じゃないですか」
「…こりゃ一本取られましたな、ははは」
「そんなわけで、少し話しでもしませんか?」
「そりゃもう喜んで」
「ではここ、失礼しますね」
悪徳記者の対面の椅子に腰掛ける。アイドルと悪徳芸能記者の組み合わせ、まさか悪徳記者本人がそれの片側になるとは思わなかっただろう。だが悪徳記者この程度でぐらつくような記者ではない。
それは身に沁みてわかっているつもりだ。ここからが本当の駆け引き。なるべくスマートにスピーディに、それでいて付け入られないように。
「にしても天下のアイドル秋月律子とこんなオシャレなカフェテラスで会話だなんて、最高の気分ですよ」
「私も悪徳記者と話してみたいと思ってたんですよ。例えばどうして芸能記者になったのか、これは是非聞いてみたいですね」
「いやいや自分の話しなんて腹の足しにもなりませんって、それより秋月さんの今後のお話とか聞いてみたいですねぇ」
「私の今後ですか?」
「ええ、勿論このままアイドルをずっと続けていくとは思うんですが秋月さんは事務員兼任でやってらっしゃるでしょ?」
「そうですね」
「それじゃもしかしたら、アイドルやめて専属の事務員に! なんてこともあるわけじゃないですか」
「意外と事務仕事好きですから、可能性はなしじゃないですね」
「あとは、あっこれは根も葉もない当てずっぽうですから気にしないでくださいね?」
「どうぞ、言ってみて下さい」
「それじゃお言葉に甘えて、例えばプロデュースしてもらっているうちにプロデューサーのことが好きになってしまってそのまま結婚したり、もしくは秋月律子社長として独立して会社を設立したり、アイドルではなくてプロデューサーになったり、あとはそーですね…あっ、765プロの社長になるとか!」
…上手い。どれもこれも、反応があればそれだけでネタになり得る話題だ。更に一番聞きだしたい『私がプロデューサーになるかも知れない』をあえて会話の中に、さりげなくそれでいて単刀直入に心を揺さぶりにきている。
最後に冗談で逃げやすくしているのも、泳がして一気に釣り上げるためだろう。あの薄ら笑いをしている瞳の裏側には何か別の生き物でもいそうな気さえする。
「そうですね…最後の765プロ社長はなかなか面白そうですね。目指して見ましょうかね」
「ホントですかい? でもやっぱり社長になる前にやりたいことがあるんじゃないんですか、結婚とか転職とか」
「結婚も転職もどうですかね? 実は意外と今のアイドル稼業面白いですから、最初の通りそのままアイドルっていうのも一つの道ですしね」
「なるほどなるほど」
「でも転職するなら、プロデューサーとかやってみたいですね」
「…ほう、それはどうして?」
「実はなんですけど、元々プロデューサーになりたくて事務所に入ったんですよ。でも事務員とかが足りなくてまずは下積みってことで事務員に、程なくしてアイドルにって感じで」
「へぇ、そんな経緯があったんですねぇ」
「どうですか? 今の話し記事になりそうですか?」
「うーん、もうちょいとインパクトが欲しいですが書けないこともないですぜ」
「そうですか、それは良かった。っと、それじゃそろそろ帰りますね」
「そうですかい、いやはや貴重な時間をこんな自分に割いてくださって感謝してもしきれないですよ」
「いえ、また機会があればお話し、しましょうね」
「ええそりゃもう…よろこんで」
軽く会釈をして、その場を立ち去った。遠くから、誰かの視線を感じたが決して振り向くことなく私は歩き去った。

「…ちっ、喰えねぇアイドルもいたもんだ。せっかくの情報もこれじゃ宝の持ち腐れだ。このまま尾行しても確実にばれるだろうし、会うのはわかってるが手を打たれた、か」
それにあいつ、あいつがあの噂を知らないわけもない。俺と善永の噂。それを言っちまえばもっと確実にうやむやに出来たろうに。
「へっ、お人よしめ。そんなんでプロデューサーが勤まるのかね」
…だが、楽しかったぜ。久々に面白みのある駆け引きだった。あいつがプロデューサーになりゃ、飽きてきたこの芸能記者も少しはマシになるかもな。


なんとか悪徳記者をいなし善永さんのメールに書いてあった次の待ち合わせ場所に着いた。時間がないらしく、直接次の取材場所に来てほしいとのことだった。敏腕記者というのも忙しいとは思っていたがここまでとは思わなかった。
指定したとおりの場所、一寸違わず善永さんはそこで待っていた。既に取材の準備を終えているみたいですぐにこちらに気付いた手を上げてくれる。
「遅くなってすいません、善永さん」
「いえ、こちらこそ私の不手際でご迷惑をお掛けしました。といろいろ話したいのですがこれから取材なのでそれはまた後で」
「わかりました。私が荷物持ちますね」
「助かります。少し荷物を積みすぎてしまって困っていたところで、さすがに細かいところに気が利きますね」
細かいところをよく観察する観察眼で言えば圧倒的に善永さんや悪徳記者のほうが上ではあるが、プロデューサーになるならば私もこれまで以上にそれを高めなければいけないだろう。自分の担当するアイドルと自分自身を守るために。
「取材は私一人でしますので律子さんは少しの間取材風景を見ていてください。なるべく参考になるようにしてみますので」
「ありがとうございます」
私たちは廊下を足早に歩き取材場所へと向かう。五分ほどで着いた場所にいたのは私も見慣れた二人組み、伊織とやよいだった。
「い、伊織にやよ…」
「しっ、同じアイドルの律子さんがいるというのはお二人にはお伝えしていません。お二人に気付かれないようにお願いします」
「…わかりました」
意図はわからないがわざわざこんなことをするのは何かあるのだろう。単純に臨機応変さをあげるだけかも知れないがそれでも十分だ。とにかく私が助手をしていると二人に気付かれれば僅かであったとしても自然な取材ではなくなってしまう可能性もある。それが人の心というものだ。
「すいません。お待たせしました」
「全然待ってませんよ!」
「そうですよー、私たちこれっぽっちも気にしてませんから」
…気にしていないと言ってしまったらそれは待たされたことに対して何かしらの不満があると相手に伝わっているのよ、伊織。無理に猫被らなくてもファンにはもうバレているし伊織自身もそれに気付いていないわけじゃない。いい加減素に戻ってもいいと思うのだけれど、今更過ぎて恥ずかしいのだろうか。
それとは対照的にやよいは本気でそう思っているのだろう。今日も元気で化粧のない綺麗な素顔と心でいるようだ。
普段うちのアイドル達はあまり化粧をしないがドラマの撮影やPV撮影のときは薄くしているがやよいだけは化粧をしているところを見たところがない。ある意味素材そのままで勝負出来る類稀な存在かもしれない。
「では今回の取材ですが―――」
取材は淡々と進められた。この二人に取材ということで難しいことはさほど聞かず最近のマイブームやファッションについての興味、自分の歌への思いなど簡単に答えられるものばかりであった。
それをある程度脚色し呼んでもらうために工夫を凝らし無駄なく読みやすい記事を書くのがこの善永さんのすごい所であり、私としても見習いたいところだ。
とにかくこの人は人の良いところをいち早く見つけそれを誇張しすぎず縮こまりすぎず書くのが上手い。悪徳記者も悪いところを見つけるのは上手いがそれは簡単だ。
そのまま書いてしまえばインパクトも十分で見つければいいだけなのだ。善永さんのそれは見つけて、綺麗に加工して、書く。これをだらだらとやるのではなく短時間でやるからこそ彼女は敏腕記者なのだ。
今回の取材もわかりやすいよう答えやすいよう、かつ記事としての原案としてギリギリ面白く使えるラインを超す質問とファンが聞きたいところであろう部分も的確に聞いてくる。
伊織はともかく少し理解力に乏しいやよいがこれだけスラスラ質問に答えられる取材が出来るのは善永さんくらいだろう。
…ありえない話しではあるがこの善永さんを担当したらどうなるだろうか。アイドルである善永とプロデューサーである自分、二人で日々相談しながら着々とトップを目指して確実に、一歩一歩前進していける。
華やかさこそないものの私としてはそういう確実性こそが一番あってほしいもの。勿論要所要所で大きく踏み出すことも大切だが、善永さんとなら大きな一歩にも確実性を求めることが出来るはずだ。
更に善永さんは記者でありながら美人ということで逆に取材されたこともあるくらいに顔も整っている方だ。スタイルも大人の女性らしくまとまっていて、今だってYシャツのボタンを肌蹴させ、その隙間から覗く鎖骨がとても綺麗だ。あずささんとはまた違った大人の女性、だろうか。
「あ、ちょっとこちらから質問してもいいですかー?」
「どうぞ」
「さっきから気になっていたんですけど、そちらでずっと黙っている方は誰でしょう?」
「ああ、私のアシスタントですよ。今日からしばらく研修のような形で」
「ふーん…なんだか私、あの人見たことある気がするんですよねー。それも一度や二度じゃなく、毎日顔を会わせているくらい頻度の人で」
さすが伊織、その勘の鋭さは最早第六感の存在を肯定せざるを得ないほどだ。伊織の場合は相手を良く見て、長年の経験から来る長けた推察によるものではなく単純な勘。直感。予想も出来ない直観力ということだけ。
だがこれまた優れもので、数字を指定するタイプの宝くじでは数枚買えば一枚は当たる。ジャンケンであれば自分の好きなように勝ったり負けたり、あまつさえあいこにも八割がた出来ると伊織自身が言っていた。
信じられないかもしれないが、実際勝つことを前提に百回やって(伊織はものすごく嫌がっていたがそこは果汁百パーセントのオレンジジュース五本とやよいの懇願でどうにかした)七十七回勝ち、十三回負け、十回あいこと恐ろしい勝率だった。しかし本人は今日は調子が悪い、いつもなら八十は固いと大物くさい台詞を言っていた。
確証たるものは一切ない、が。伊織がここ一番というところで負けた試しも少ない。負けるときは勘ではどうにもならない圧倒的な実力差がある場合だ。
伊織の天性の勘の鋭さすら凌駕する千早の地力にも感嘆するが、今の伊織は若干千早には劣るが実力をつけている。十分過ぎるほどの才能もある。外見もお嬢様らしく可愛くもあり、綺麗でもある。癖は強い暴れ馬、しかしこれを乗りこなせた先に待ってるのは輝かしい未来だろう。
「まさか、こんな新人が伊織さんと会ったことがあるだなんて」
「そう、私が秋月律子よ」
「…」
「えぇ~! そうだったんですか?」
「冗談を言うのは良くないわ」
「…バレましたか、あっはっは! たまに似てるって言われますけど、意外と律子さんって地味な顔してるじゃないですか。実際結構似てる人多いんですよ」
「…冗談、律子はもっと綺麗ですよ? おほほ」
「はい! 律子さんはとーってもとーっても! 美人さんです!」
「そうよ、貴方なんかと比べないの」
「はーい」
「…」
うわ、伊織あれ相当怒ってるわね。察するに私の律子は意外と地味な顔発言に対してだと思うけど、そこまで露骨に怒ってくれると逆に照れるわ。でもありがとう、伊織。でもまだまだ詰めは甘い。もしプロデュースできるならその甘さもフォローしてあげなきゃ。
そしてやよいもありがとう。あんなに嬉しそうに言ってくれるのはやよいだけね。さすがうちの爆発娘は違うわね。
爆発娘の由来はやよいの経緯にある。やよいは765プロのアイドルの中でも屈指の遅咲きアイドルで、F~Eランクの期間がずば抜けて長かった。先に千早や美希、伊織が人気が出始めついで春香や真、あずささんや私が売れ始めその後の雪歩や亜美真美よりも遅く人気が出始めた。言ってしまえば一番最後に売れ始めたのだ。
その状況はそうそう耐え切れるものではない。自分と仲がいいアイドルはどんどん売れて自分だけが取り残されて事務所の掃除、それでも他のアイドル達が帰ってくれば笑顔でおかえりなさいと言ってくれる。
何者にも変えがたいやよいの精神。強いわけではなく決してめげないのだ。そんな辛い下積みを脱出したきっかけは伊織。伊織が注目するアイドルを紹介するという番組のコーナーでやよいを指名したのだ。
番組側からは他のアイドルにしてくれといわれたそうだが嘘をつくくらいならこの番組を降りると無謀にも啖呵をきり(だがこの時もこれだけ言っても降ろされないだろうという勘があったらしい)無理やりやよいを出演させそれが良い意味で大炎上。
やよいと、やよいが歌った『キラメキラリ』は何なのかという質問が殺到しやよいは晴れてEランクを抜け、一気にCランクまで駆け上がった。一時期『キラメキラリ』のCDがどこにもないということが続きオークションなどで万単位で取引されたこともあった。それからついたあだ名が爆発娘というわけだ。
一発を秘めたやよいや伊織、これで一気に駆け上がるのも悪くはない。だが失敗すれば大損のスリル満点の一点掛け。だがそれだけの価値は十二分にある。
…これ以上の妄想は善永さんの手伝いの迷惑になる。今日一日が終わったら続きを考えることにしよう。

あれ以降伊織が私に突っかかってくることもなく無事に取材は終了した。二人とも元気に挨拶をして仲良さげに楽屋へ帰っていった。善永さんも仕事が一段落して少し休憩しましょうかと言って近くの喫茶店に入った。
今時には珍しい静かなジャズが流れている渋いコーヒーの香り漂う雰囲気あるお店だった。
「ここ私の行き着けなんですよ。昔からこういった場所に憧れていてやっと見つけたのがこのお店なんです」
「そうなんですか」
善永さんには珍しく目をぱっと輝かせながらそう言った。確かに子供のころにこんなお店が出てくるドラマや映画やアニメを見て憧れを抱かなかったことはない。でも私の場合はそれをどこかで忘れてしまってここにきてふと思い出した、そんな感じだ。
「最近流行ってる言葉で表すなら、厨二病の名残でしょうか」
「厨ニ病って確か中学二年生くらいの思春期にする傍から見たら痛い言動をかっこいいと思い込んでしまうとかいう意味でしたっけ」
「そうです、私の場合は昔から雰囲気のある喫茶店でゆっくりするのっていいなーと思ってずるずるここまできました。結構ここに律子さんと一緒に入るの恥ずかしかったりするんですよ」
「…善永さんって意外と可愛いですね」
「もう、からかわないでください」
割と本気で言っているのだけど。

とーどかないメーセッジ 不可視なラ ビ リ ン ス

急に聞こえてきた真の『迷走Mind』に驚き、それが善永さんの携帯の着うただということには更に驚いた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと外で電話に出てきます」
「はい、私にお構いなく」
「それじゃ失礼します」
足早に店内を出て行く善永さん。丁度窓付近で電話に出て先ほどまで輝いていた目は鋭く、まさに仕事人といった顔つきだ。私の横顔もあんなにかっこいいことがあるのだろうか。
何を話しているかはわからないが何かの仕事の話しだろう。というか仕事以外での話しだと善永さんが何を話すのかはわからないが何を話していても意外に思える。
「すいません、お待たせしました」
「何かお仕事のお話ですか?」
「ええ、後輩からでして軽く記事の内容を聞かせてもらって良しか悪しかを」
「へぇ。ちなみに結果は?」
「悪しです。筋はいいのですが少し誇張させすぎでした。元来そういう子ではあるのでそこさえ直ればもう私が口を出すこともないんですが、これがなかなか」
「苦労しているようですね。うちのアイドルにも手のかかる可愛い後輩がいますよ」
「ふふっ、誰のことなのか何となくわかりますね」
本当に話しをすればするほど完璧なクールビューティーだ。…だからこそ突き崩したくなることもある。私はこんな私が好きであり、大嫌いでもある。
「律子さん、何やら企んでいますね?」
「バレてしまいましたね」
「しかし聞いても面白くないですよ? 事実は小説よりも奇なり、となるのはそうそうあることではないですからね」
「それを判断するのは私、と図々しいにも程がありますね。やめておき」
「結論から言えば、確かに私と悪徳は付き合っていましたよ。短い間でしたが」
ここまでスパッと言われるとは予想外だった。そもそも聞けるとは思っていなかった。それが善永さんの最大の地雷だと思っていたから少しからかうためのダシにする程度にしか考えていなかった。思った以上に、心にくるものだ。
「…誰かに話すことで楽になれる、その言葉を信じて律子さんにお話ししてみましょう」
「私の意志は関係なしですか?」
「きっかけは律子さんです」
そんないい笑顔で言われたら抗うことも何も出来ない。私は黙って聞くことにした。
「そんな大した話しでもありませんが、悪徳も私にも新人のころが当然ありました。そして二人とも同じ時期に記者になり、特ダネを求めて奔走しました。その頃の悪徳はまだ私と同じように取材対象を肯定する、賞賛する真っ当な記者でした」
あの悪徳記者が人を絶賛するコメントを書いている姿は想像に苦しいが、辛口コメントを残しつつ褒めるところは褒めていたのではないだろうか。
「私と悪徳は嗅覚が似ていたのか、事あるごとに鉢合わせました。その度に記事の取り合いになりましたし、喧嘩もしました。けれどそれを飽きることなく繰り返しているうちに私の心の片隅に、不覚にも、いつの間にか芽生えてしまった。俗に言う若気の至りです」
何とはなしに棘がある言い方だ。後悔している、そういうことだろう。十数年間生きてきた未だに恋なんてものに現を抜かしたことがないのでわかりにくい。しかし、あの善永さんでもしているのに私は未だにその欠片すらもない有様で、意外とまずいのかもしれない。
「その後も何度も衝突して、私の片隅で咲いていた不覚の感情も次第に心の中心にまで根をはり、いよいよどうにも出来なくなったときつい零してしまったのです。その地獄耳の悪徳が聞き逃すわけもなく、最初は笑われました。その時の恥ずかしさと言ったらとても形容できるものじゃありませんが、意外にも悪徳と私はそのまま付き合う形になりました」
下手な電撃結婚よりもたちが悪いスピードだ。しかし敏腕記者同士でありながらもその当時は悪徳記者のほうが一枚上手のように思える。それにしても悪徳記者と善永さんが付き合っていた、デートもしたのだろうがまったく想像出来ない。
「付き合ってた頃は、まあ悪くはありませんでした。ですが二人が記者だったのが運の尽きだったのでしょうね。また私たちは取材現場で鉢合わせになりました。けれどその取材がひどかった」
「ひどかった、とは?」
「世の注目を浴びる大スター、しかし記者たちの間の噂では外道の限りを尽くす人間。ですが当時の私にはそうは見えなかった。そしてその頃の私は敏腕記者の卵と言われ、調子付いていました。結局そのまま私が取材することになりました」
「悪徳さんに反対されなかったんですか?」
「気をつけろ、とだけ。ただそれまで付き合っていても心配されたことなんかなかったのでその時は心底嬉しかったです。で、取材となったわけですが噂以上で、最初は良かったもののすぐに化けの皮が剥がれていきました。無闇に多いボディタッチ、延々と続く自慢話、取材が終われば半ば強引にホテルへと私を連れ込もうとまで」
芸能界のどこかではそういうこともあるとはわかるのだが、実際話しを聞くと憂鬱になる。そしてこれから私もそのギリギリの瀬戸際を行き来することになると思うと少しだけ怖くなった。そうなってしまったとき、誰か私を助けてくれるのだろうか…。
「多分あの扉が閉まっていたら私は、喰われていたでしょうね。ただそこにカメラを持った悪徳が来てくれて無理やり私を引きずり込むその人を撮ってくれていたんです。それ以上おいたが過ぎるならこれをばらまく。その脅しで私はなんとか事なきを得ました。けれど」
「…悪徳さんに何かあったんですね」
「ええ。恐らくはその人の差し金でしょうが、数日後悪徳は何者かに右手を折られ、大切にしていた愛用のカメラを壊されました。あの日撮った写真のデータはまだあったため悪徳はすぐにそれを記事にしました。勿論私の許可を取った上で。けれどそれが世に出回ることはなかった。既に裏で手が回っていたのか、印刷業者からもこれは刷れないと断られ当時の編集長からもこんなものは世に出せないと言われていました。悪徳は怒っていました、自分の名誉すらも厭わないでこれを記事にすることを許してくれたあいつに申し訳が立たない、と」
「…」
「必死に主張しても編集長も印刷業者も首を縦に振ることはなく、結局記事になることはありませんでした。悪徳が今の悪徳らしくなったのはもちろんこの一件からです。彼は会社をやめて、そのままフリーの記者になりました。それ以来私たちの関係も自然消滅しました」
そういい終えて善永さんは鞄の中からくしゃくしゃになった紙を取り出した。紙の色も変色し、インクも霞んで記事の内容はすべてはわからない。けれどこの流れで出てくる記事だ。当然これは。
「悪徳が書いたその記事です。たった一枚の印刷もされなかった、儚い真実の記事。芸能界の華やかではない裏の顔を記した紙。悪徳がゴミ箱にくしゃくしゃに捨てたのこの記事がそのままゴミになるのが私にはどうしても我慢できず気付いたら今でもずっと持ち歩いている、って感じです。今となってはその人も引退していますし、私も悪徳も気にしてもいないのですが捨てられないんですよ」
「でも、この記事の内容。書かれていることは棘だらけですが、善永さんに対する優しさ、きちんとした配慮が見受けられますね」
「だから、捨てられないのかもしれません。変な話ですが、私はこの記事を見てこんなに大切に思っていてくれたんだと認識出来たんです、あはは」
なるほど、悪徳記者にこんな過去があったのか。ならもしかして悪徳記者がこうしてゴシップ記事に近いことばかり書いているのは、つまり。
「んー、意外にスッキリしますね! 話した甲斐がありました」
軽く伸びをする善永さん。少しだけ顔つきが軽く見える気がする。肩の荷が下りた、とはまた違いそうだがニュアンスはそうだ。
「さあって、そろそろ次の仕事に行きましょうか。時は金なり、まさしくですから」
「一つだけ聞いていいですか?」
「ふふっ、どうぞ」
「自然消滅なんですよね? でも本当のところはどうなんですか?」
「何とも思ってない、そう言えば嘘になります。ですが今更どうしようもないですよ、こういうのも惚れた弱みと言うのかもしれませんね」
「そうですか。それじゃ次のお仕事行きましょうか」
「ええ」
私と善永さんは同時に立ち上がり次の仕事場へと向かった。ちなみに肝心のコーヒーだけれど渋味の効いた味でその味はどことなく、悪徳記者を彷彿とさせた。もしかしたらこのお店も元は悪徳記者の行きつけだったのかもしれない。

その後も的確に淡々と仕事をこなし、途中いくつか小さいトラブルはあったが善永さんの臨機応変な対応により全てが大炎上することなく、もう一日が終わりに近い時間にまで迫っていた。
見習うべき点は数多くある。まずは時間の使い方。私は確実に物事をこなすために何かをやっているときにまた別の何かに取り掛かることは避けていたが、善永さんは取材の空き時間に別の記事を書いたり、次の予定ではどうすればいいか考える。
何をしながら何かをこなし、それがマイナスにならないというすごいことを涼しげにやっていた。
あとはやはりコミュニケーション能力が高く、上手い。次に繋がるように仕事をして、後輩も叱りすぎずまた褒めすぎず成長させていく。プロデューサーとして活動するのであれば必要になってくるであろう能力を善永さんはいくつも持っていた。
このままプロデューサーに転身しても十分に即戦力になるはずだが本人曰く、私は私で精一杯ですよと笑っていた。
今日のお手伝いは終了、ということで私たちはまた先ほどの喫茶店で休憩していた。
「今日一日お疲れ様でした。律子さんのおかげで助かりましたよ。しかし、こんな手伝いで何か役に立てることでもあったのでしょうか?」
「正直発見の連続でしたよ。こちらこそ足手まといになりながらも使ってくださってありがとうございました」
「そんなことはありません。何ならこのまま助手とし、あわよくば記者になってほしいくらいです」
「お褒めに預かり光栄です」
「明日から一人だと思うと少し寂しいですよ。…それで、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「私のお願いを聞いてくれたらいいですよ」
「お願い、ですか。例えば悪徳記者の電話番号を教えてくれとかでしょうか?」
さすがに鋭い、だが当然だ。恐らくは昔話を終えて私が質問した時点でこうなることを予測していたのだろう。
「構いませんが律子さんが介入したところでどう転がることもないと思いますよ」
「それでもいいです。とにかくそれさえ飲んでいただけるのなら質問にお答えします。私がプロデューサーになるかどうか」
「こちらの質問も予測されていたみたいですね」
「今日一日どこかでくるであろう質問がここまでないのなら今しかないでしょうからね、簡単な消去法です」
「さすがです。わかりました、先に電話番号を教えてしまいますね」
悪徳記者の電話番号を電話帳に登録する。善永さんの電話帳登録には家の住所やメールアドレスも登録されていたが教えてもらったのは電話番号だけ。本当に付き合っていたんだなと考えてしまうと何故だかこちらが少し照れくさい。
「さてと、手短に言います。ならないのであれば私は今こうして善永さんと話していません」
「つまりプロデューサーになるのは確実、ということですか?」
「それは社長が決めるところですので、なれるかどうかはまだ」
「なるほど、それの第一段階が私、いえ芸能記者の一日手伝いということですね」
「どうして他にもまだ課題があると?」
「高木社長はお優しくはありますが情だけで動く人ではありません。それにこれだけで決まってしまうのなら間違いなく律子さんはプロデューサーになってしまいますよ」
本当に、敏腕記者の名前は伊達ではないみたいだ。これからは善永さんや悪徳記者とも上手くやってかなくてはならないと思うとそれもまた楽しみで仕方がない。
「まだなれるかはわかりません。けど絶対になります」
「ならそれを一番に報じるのは私、よろしいですか?」
「善永さんならば喜んで」
「あはは、本当に今日は素敵な一日でした。ありがとうございました」
「こちらも勉強になりました。それじゃちょっと用事が出来たのでこれで失礼しますね」
「…多くは望みません。しかし、一つだけ伝えてくれませんか? 私は記者として、人間として、昔も今も貴方を敬愛している、と」
「一言一句間違えず」
「ありがとうございます。それではまた!」
手を振って喫茶店を後にする。
きっとお節介なんだろう。
する必要もないんだろう。
でもやっぱり納得いかない。あんなに目を輝かせて過去の事を話されて、それも私が初めてで、黙っていられない。
所詮私は子供だってわかったけど、それでいいってこともわかった。
恋とか愛とかわからないけれど、誰かを助けるのに理由はいらない。きっとプロデューサーもそうだ。
確証もない、理由もない、無償で誰かを信じてフォローして笑う。きっとそれがプロデューサーだ。私のなりたいプロデューサーはそんなプロデューサーだ。
だから私はお節介をする。それをしなければ私はプロデューサーになれない気がするから。

悪徳記者に場所と時間だけ電話して、待ち合わせ場所で待つこと十五分。律儀にも悪徳記者はやってきた。
「こりゃどうもどうも。日に二度お会いするとはこれは一生分の運を使い果たしちまったかな?」
「どうでしょう? これからは意外と顔を合わすことになると思いますよ」
「へぇ、そりゃまたなんで…」
「私はプロデューサーになります。貴方が今朝そう睨んでいた通り」
「そうだったんですかい! いやこれはビッグニュースですな、しっかしまた何で今になって? 今朝はとてもじゃないが話してくれる雰囲気じゃあーりませんでしたけど?」
「話す気なんてありませんでしたから。けど少し事情が変わったので」
悪徳記者は表情を崩さない、が内心では心の水面に波紋が一つ、また一つと流れているはずだ。自分の最大の弱み、恐らくは私が知っていることを既に予見している。
「それじゃまたなんで?」
「これから話すのは貴方にとっての裏側。ならば私だけが何も見せないのは」
「…フェアじゃない、ってか」
口調が変わった。これが悪徳記者本来の喋り方。それだけで凄みが出るのは年の功か。けれどここで怖気づく私じゃない。
「そうです。実は私伸るか反るかの分の悪い大勝負に全掛け、そういう嫌いじゃないんですよ」
「そりゃくっだらない情報をどうも、それじゃここらでお暇させてもらいますぜ」
「逃げるんですか? あの時と同じように」
「ああそれでいいさ」
「そうやってまた誰かの気持ちをおざなりするんですか?」
「はっ、それがあんたに関係あるのかい? ないだろう?」
「ありますよ。見てるこっちがモヤモヤするんです、こんなんじゃこれからのプロデューサーになるって言うのに初日からミスばかりしそうですよ」
「見てみぬ振りはできねぇーっと、嬢ちゃん。行き過ぎたお節介は人を怒らせるのに効果的な手段なんだぜ?」
「怒ってどうするんです?」
「人通りも少ない夜中、そんであんたは美少女アイドルだ。最悪の場合、あの時のあいつみたいに助けもこない」
「けどそれを救ったのは他ならぬ貴方じゃないですか、悪徳さん」
「…」
「何も私はぐだぐだ説得しにきたんじゃありません。言いたいことを言いに来ただけです」
「いいだろう、言ってみな」
一息いれる。噛まないよう、途切れぬよう、この大勝負をやり遂げられるように。
「貴方の記事は大衆にも、編集長にも、印刷所の人たちにも読まれませんでした。でも一人だけ、たった一人だけその記事を読んで救われた人がいる。それはその当時、貴方が一番救いたかったかけがえのない人。その人はまだその記事を、くしゃくしゃになっても、インクが滲んでもずっと大切に鞄の奥底に入れて持ち歩いていました。それで、それだけで、いいじゃないですか」
「…」
「それだけです。後一つ、これはとある人からの伝言です。私は記者として、人間として、昔も今も貴方を敬愛している、だそうです」
「…そうかい」
「それでは私はこれで」
「待ちな」
振り返り様にこちらに飛んでくるものを視認して慌てて何とかキャッチする。飛んできたものは、ペンだった。
「どうせ安っぽいペン使ってるんだろう? プロデューサーになるなら細かい道具一つでもきちっとしな。じゃなきゃ俺みたいなのに貧乏性でケチとか書かれちまうぜ」
「ふふっ、ご教授ありがとうございます。これからは気をつけます」
「…なんてことはない無駄話だが、そいつはあるバカな記者がまだ真っ当な記事で飯食ってた頃に使ってた代物だ。そいつのせいでもう半分インクがねぇが、残りの半分、あんたにくれてやる。そっちのほうが俺なんかが使うよりよっぽどそいつも喜ぶだろうからな」
必要悪。悪徳記者を文字で表すならきっとこの三文字が似合う。そしてこの悪は私がプロデューサーになるのであれば必要なもの。私にとっての目指す必要悪はきっと悪徳記者の必要悪が一番近く、しっくりくる。そう感じる。ならこのペンと共に勝手に貰ってしまおう。
「…では、ありがたく」
「引き止めて悪かったな、あとプロデューサーの件。ばっちり書かせてもらうぜ?」
「善永さんも書いてくれるそうなので、また競争ですね」
「ちっ、喰えない野郎、もとい嬢ちゃんだぜ、はははっ! ちょっと待ってな」
「?」
悪徳記者が何やら電話をして、数分待っているとそこに車がやってきた。タクシー、ではなく速そうなスポーツカーだ。
「これに乗ってきな。駄賃も今回はタダ! 超特急で変えれるぜ、その前にちょいと天国によるかもしれねぇがな」
「心配してくれてるんですか?」
「もちろん、こんな面白い相手がどこぞの馬鹿に襲われて心折れました辞めますじゃつまらんからな! さあ、さっさと乗って家帰って寝な」
「悪徳さんは?」
「久々に散歩だ、気分がいいからな。んでまあ、いきつけの喫茶店だったところでも寄ってみるさ」
「なら早めに行くといいことがあるかもしれませんよ? 悪徳さんが行きつけにしていた頃と変わらないものが一つだけあるかもしれませんから」
「善処するさ」
そう言って手をひらひらさせながら闇へと消えていった。善永さんにメールをしようかと思ったが、後は二人次第で十分だろう。私は私で思わぬところでライバルが増えてしまったのだ、また一段と頑張らないといけなくなった。けど、悪くはない。
運転手さんは一言も喋らなく車に乗って行き先だけ伝えると途端に人が変わったようなハンドル捌きで運転し始めた。漫画や小説の中でハンドルを握ると、なんて人物がいるけれどこの人の場合もそうなのか、それとも素でこうなのかなどとくだらないことを考えていたらあっという間に着いた。
普通に大通を使えば着かないであろう時間であることから、この人しか知らない細道などがいくつもあるのだろう。お礼だけ言って車を出るとすぐに発進、瞬く間に車は見えなくなった。なんというか、マグロを彷彿とさせる車だ。
家の中に入りすぐにメールを確認すると、次の黒井社長秘書の日時と内容が書かれているメールが来ていた。日時は明後日の午前九時から、場所はそのまま961プロの社長室。
考えるだけで頭が痛くなりそうなのでもう寝ることにする。シャワーは、明日の朝に浴びよう。確か明日は感謝フェスの最終確認だったろうか。大した変更もないだろうから明日は休日と言っても過言ではないかもしれない。
じゃあ、担当アイドルの組み合わせは…。
そう考えているうちに私は眠りについた。

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2011/06/21 09:34 | [ 編集 ]


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Author:流ぬこ
自個偽無、候。
書いたり書いたりしている流ぬこです。
ピクシブなんかでも同じく流ぬこで書いています。
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